「やらない善より、やる偽善」という言葉が好きかも。
仮に100%偽善だったとしても、その行動をしたことで
- 相手がすごく喜んだ
- 見ていた人が感激した
- 誰かの心を良き方に動かし、何かの創造の元になった
とかだとすれば、十分「善行」なのでは? と私は思うのです。
ここでは、「やらない善よりやる偽善」の意味と、プロ野球のとある試合を見て感じたことをお伝えし、「偽善かもとか考えず、もっと気軽に善行をしよう」というお話をします。
「やらない善よりやる偽善」の意味
さらっと、意味をまとめます。
「やらない善」の意味
私が思う「やらない善」とは
何が善行 (よい行動) かはわかっているし、した方がいいとも思うけど
- 勇気がない
- めんどくさい
- 「本当に相手のためになるのか」などと考えすぎる
- 自分の利益を考えての善行はよくないと思う
- 「偽善」と人から思われるのが嫌だ
など、何らかの理由で善行をしないこと。
「やる偽善」の意味
私が思う「やる偽善」とは
- 人から評価され、自分の承認欲求を満たすため
- いいことをすれば、自分にいいことが返ってくるから
- これをしないと自分が後で悔やみそう‥それが嫌だ
など「自分の利益や得」を考えて善行をすることです。
全体的な解釈と、私が思うこと
私の解釈としては
- 「やらない善」=「善の気持ち」はあるけど、何も行動しないこと。
- 「やる善」=「善の気持ち」がないけど、善の行動をすること。
「やらない善よりやる偽善」とは、「『気持ちはあるけど行動しない』のと『気持ちはないけど行動する』なら、どっちがよいのか。そりゃあ、実際に行動しているのだから『気持ちはないけど行動する (やる偽善)』の方でしょ!」という意味だと思います。
ゆえに、最も理想的なのは
- 純粋な善意 (良い心) のみで、善行をする
- 自分への得や見返りを求めずに、善行をする
- 人への思いやりの気持ちがある状態で、善行をする
などの「やる善」のかたちになります。
でも、ここで思うのが「『100%善意の行動』とか『100%偽善の行動』とかってあるの~?」 ということ。
もちろん人や状況によってはあるかもしれませんが「善意が90%だけど、10%はやらないと罰が当たりそうだから」とか「90%偽善だけど、10%は本当に相手への思いやり」とか、そういう場合もあると思うのです。
「やらない善よりやる偽善」という言葉が浮かんだ試合
とあるプロ野球の試合を見ていて、この記事を書こうと思ったわけで‥‥
そのプロ野球の試合の概要
オリックスバファローズと読売ジャイアンツの試合。
オリックスバファローズ・森友哉選手の、大阪桐蔭高校野球部時代の同級生である福森さんが始球式を務められました。
福森さんはステージ4のがんを患っており、森選手の一生懸命な姿も励みにし、つらい治療に向き合っていらっしゃる。 森選手も、福森さんの姿から力をもらっている。
この試合は、
- 森選手が始球式のキャッチャーを務め、福森さんと抱き合い、
- 森選手は、勝ち越しタイムリーを打つなど活躍し、
- オリックスの勝利で、森選手はヒーローインタビューにも登場
という「シナリオ通り」のような展開で幕を閉じました。
企画された方々の本心は‥
試合後の、福森さんや森選手の姿を拝見し、私も涙があふれました。
でも、いろんな心を持つ私は、次にこんな考えが浮かびました。
誰かが「福森さんの始球式」を企画したから、この試合が生まれたのだと。
「ああ企画者様、感動的な試合と気づきをありがとうございます」で終われれば、一番幸せなのだろうけど。
いろんな心を持つ私では、そうはいかない。
裏事情に詳しくないので、こういうことを誰がどのように企画しているのか、基本的にわかりません。
一応ネットで調べる限り、始球式をする人は「主催者側の球団 (今回の場合はオリックス) が決める」とのこと。 でも、野球人気が低迷していることを受け、いろいろとNPB (日本野球機構) の指示や要望なんかも受けているのかもしれません。
AIさんに聞く「プロ野球の始球式に誰を招くかを決める要素」とは
- 知名度と話題性 (始球式を盛り上げ、観客の関心を引き付けるため)
- 地域とのつながり (地元出身や地域に貢献している人物を選び、地域住民の関心を高めるため)
- 球団との関係性 (球団のOB選手や、球団を応援している著名人など)
- ファンサービス (ファンの中から抽選で選ばれた人=特に子どもが多い)
- イベントの趣旨 (イベントの内容やテーマに合わせ、それに合った人物)
今回の福森さんは、1と2と5を満たし、広い意味では3と4も当てはまっていると言えるでしょう。
そういう意味では偽善でも何でもないのだけど、やっぱり少しちらついてしまう「病気の人や障がいがある人を出しておけば、好感度が上がる、視聴率がとれる」みたいな‥‥
特別支援教育に携わっている時は特に「ちらついては消し、ちらついては消し‥」としていた気持ち (メリット面を考えたりしつつ)。
プロ野球の始球式をできるなんて、なかなかないこと。 私としては、企画や運営に携わった方々の中に、少しでも福森さんへの敬意や仏教的な慈悲心みたいなものがあったことを、願っています。
でも事実はこれだ!
仮に仮に、今回のことが、球団やプロ野球界の「利」や「得」だけを考えたものだったのだとしても。
森選手はタイムリーを打ち、オリックスが勝利しました。(神様も味方をしたのかもしれない)
福森さんは、試合後に号泣されていました。
(大きな泣き声が聞こえたわけではないので、正確には「号泣しているように見えた」ですが)。
森選手も泣いていて、一緒に写真を撮っていました。
福森さんのお気持ちを想像し、私も泣きました。
で、この記事を書こうと思いました。
それが事実です。
もっと気軽に善行をしていい
もしも、あれこれ考えすぎて善行できない人がいらっしゃったら‥
もっと、ふんわり軽~く、善行すればよいのかもしれません。
もう、もはや偽善でもいい
善の気持ちも少しはあれど‥‥
- 徳を積んだ方が、自分に得だ
- 後で悔やむのは、自分が嫌だ
- これをしておかないと罰が当たりそう‥
もう、何でもいいや。
やらない善より、やる偽善。
実際に「行動する」のは、勇気や労力が必要なんだし、素晴らしい!
まず行動することで、心は後からついてくる って可能性もある!
小さなことでよいのだと思います。以下の記事もご参考に‥。
自分のためにもなる!一日一善の効果。一善の具体例もご紹介! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
ただ「人から評価されるため」「感謝されたい」などが目的だと、そうでなかった時に不満が出ます。 (若い頃の私も、それでグチグチ言ってました (;’∀’))
あれこれ考えすぎなくていい
善行をしよう。
と思ったけど、いろいろ考えちゃう。
- 相手は喜んでくれるのかな?
- 相手にとって迷惑だったらどうしよう
- 自己満足なだけかもしれない etc.
でも「相手の気持ち」って、わかりようがないんですよね。
仮に喜んでくれたとしても、思いやりから喜んでくれた可能性もあり、そこまで考えているとキリがなくなる。 (実際に昔の職場に「好意は喜んで受け取る」を心がけている先輩がいました。)
状況にもよるけど、やっぱり小学校の道徳で習った「自分がやってもらったら嬉しい」と思うことをやればいいのかも。「思いが大事」とも言えるから (前述と矛盾するけど)。
以下の関連記事もあります。
思いやりのある人になりたい! 今日から始められる3つのこと。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
失敗してもいい
善行をしても「喜んでもらえなかったかも‥」ということがあった。
よかれと思ってやったのに、よくなかったこともあった (._.)
物を壊しちゃったり、恥をかいたことも‥‥
- 電車内で席を譲ろうとして挙動不審
- 親戚の家で「これ美味しいです、どう作ったんですか?」と聞いたらスーパーのお惣菜だった
- 街で落とし物をした人を追いかけたら転んだ etc.
それでも、やる!
見ている人は見ている。 人が見ていなくても、神様お天道様は見ている。
結果は失敗だったとしても「思いだけは通じる」というケースもあります。
仮に笑われたりバカにされたりしても、神様や宇宙とよばれる創造の源が、必ずや「善いことをしようとしてくれてありがとう。今度はあなたにこれをプレゼントします」と言って、良きことを起こしてくださる。と私は信じています。
まとめ:早速私もやってみた!
「やらない善よりやる偽善」の意味や「もっと気軽に善行をしよう」ということなどをお伝えしてきました。
私も自治会の立ち当番の時、暇な時間に落ちているゴミやガラスの破片などを拾って持ち帰ってみました。
ほんの小さなことだし「100%善の思い」ではないし (笑)
やってみようと思う方、一緒に無理のない範囲で「自分にできる善行」を積んでいきましょう!
あっ、そんな自分を褒めたり、自分を優しくいたわりながら (*^-^*)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。