人を信じる、信じられる。
- 一般的に「いい行い」とされるし、
- 人を信じた方が (その瞬間は) 幸せだし
- 信じれば、本当にそうなる確率が上がるとも言える。
でも何もかも、すぐに信じていたら‥‥ 詐欺や裏切り、大きなミスにつながることもある。
疑うからこそ、自分や誰かを守れることもある。
だから多くの人は、人を「信じる」と「疑う」を調和させて生きているんだよね。
ここでは、「信じる」と「疑う」の意味をさらっとまとめ、人を「信じる」と「疑う」を調和させることについて、飽くまでも私の考え方や方法などをお伝えします☆
「信じる」と「疑う」の意味
この記事で言う「信じる」の意味は
- そのことが「真実である」と思うこと
- 相手のことや物事を、心から納得して理解すること
- (他人を信頼する) 自分の考えや判断が正しいと思うこと
他人の考え、発言、得られた情報などに対して信頼し、肯定的にとらえること。 (飽くまでも、その時の気分だけで言えば) 信じている時は「いい気分」です (*^-^*)
反対に「疑う」の意味は
本当かどうか「疑問」「あやしい」「不安」に思うこと。
他人の考え、発言、得られた情報などに対して「間違っている部分もあったり都合のいいことしか言っていなかったりするのではないか」と思うこと。その時の気分だけで言えば「よくない気分」でしょう。
My「信じる」と「疑う」を調和させる方法
すべてを100%信じる。すべてを100%疑う。どちらも「心のラク」や「幸せ」から遠ざかりそう。
常に「あらゆる可能性がある」と思っておく
★人の言うことは、何の疑いもなく信じたい。(信頼している人や大切な人なら、なおさら)
でも、多くの人は
- 「自分の脳のフィルター (色眼鏡)」を通して物事を見るし
- 弱さから、ちょっとした嘘をつくこともあるかもしれないし
- 大げさに表現しちゃうこともあるだろうし
- 記憶があいまいになることもあるかもしれないし
- 現在は変わっていることを知らず、過去の情報を言うこともあるだろうし‥‥
もうこれは、仕方のないこと。 思いやりの光で包んで受け入れたい。
(悪意のあるフェイク情報などは論外。)
★通販やCM、商品紹介の動画とかを見ていると「すごくいい商品」に見えるけど、
- 自分には合わない可能性もあるし
- よく調べるとデメリットもあるものだし
- よく考えると自分には必要ないこともあるよね。
★彼氏が「いずれ結婚しよう」と言ってくれて嬉しくても
- 彼氏の気持ちが変わる可能性もあるし
- 結婚なんてできないような状況になる可能性もゼロじゃないし
- 自分の気持ちが変わる可能性だってある
「疑う」というと聞こえは悪いけど、常に「あらゆる可能性がある」と思っておく感じ。
もちろん「人を信じる」こともあるけど、ちらっと「でも、あらゆる可能性があるよ」と思っておく感じ。仏教で言う「諸行無常 (万物は常に変化する)」「縁起 (すべての物事は他人や他の物事との関係性によって起きる)」が、おそらく真実だから。
相手の気を悪くしないよう配慮しながら
常に「あらゆる可能性がある」と思っていると、他人の発言を鵜呑みにできなくなる。
けど、明らかに疑っている態度をすれば、相手の気分を害する (場合もある)。
そんな時は、できるだけ臨機応変に対応 (;’∀’)
たとえば、
- どうでもいい情報とかなら「へ~、そうなんだね~」と普通に返す。(それが間違っていても「どうでもいい」ので)
- 「信じているよ!」という態度をしながらも、心の中では「あらゆる可能性がある」と思っておく
- 穏やかに、相手に質問などをし、(心から信じられるよう) 確認していく
- 心から信じられるよう、後で自分で調べたり確認したりしてみる
- (ダブルチェックが必要だと判断した場合)「ごめんね、念のため私も確認するね」と言ったりする etc.
内容によっては、きちんと自分でも調べるからこそ「相手のことを心から信じられる」ことも多い。相手の気分を害さないよう配慮・工夫しながら、それができるのが理想。
冷静に疑ってから方向性を決めることも
★たとえば「モノやサービスを買ってほしい」「お金を払って~」と思っている人の発言や発信。
必ず私は、まず疑っています (←「嫌な奴」かな?)
その人は、買ってほしいからそう言っている可能性もある (もちろん真実の可能性もある)。別の側面から見ればデメリットもあったり、違うことも言えるかもしれないと、冷静に考える。
特に高額な時は、即買いをしない。 必ず、確認や調査をしてから。
ご興味のある方は、以下の記事も☆
知ってれば生かせる! 営業の方々が使う20個の心理学テクニック | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
まず疑えれば、昔の友人のように、変な絵を買っちゃう (詐欺に遭う) こともなくなるのです。。。。。
★たとえば、子どもの挑戦や、部下が「この方法でやりたい」と言った時など。
「失敗した時」の覚悟と、対応策を考えておきつつ、全力で信じてみることもある。
相手には力がある! 何かあっても乗り越えられる!
- 上手くいけば、それはそれで嬉しいし
- 仮に上手くいかなくても、それは必ずや相手の学び、貴重な体験になるのだし
- 上手くいかなかった時に対応することにより、自分の成長にもつながるし
もちろん、命や大事故につながりかねないことの場合は、慎重になりますが‥ (;’∀’)
信じても疑っても、どっちでもいい
ちょっと話がそれちゃうけど。
たとえば「神様」の存在を、昔は完全に疑っていました。
年齢を重ねるにつれ、なんとなくいる (ある) のかもと思い、今は「きっと存在する」に変わりました。
(「神様」が一番わかりやすいけど「天」「宇宙」「ゼロポイントフィールド」などとも呼ばれる存在)
でも今のところ証明はされていないし、私もできない。
この世には、証明されていないこと、証明できないことも多いです。
そうなると、信じるか疑うかは「自由」なのでしょう。
どっちでもいい。自分なりに調和させるのもいい。
信じる方が自分が幸せに生きられるなら、信じればいい。疑う方が自分にとって自然なら、疑ったままでいい。(もちろん、それを必ずしも人に言う必要もありません)
大きな視点から見れば、すべて大丈夫
大きな大きな宇宙の視点から見れば
- 人のことをすぐに信じて失敗しても
- 裏切られることを繰り返しても
- もう誰のことも信じられなくても
- 「信じてる~」と言いながら心で疑っていても
- どういうふうに「信じる」と「疑う」を調和させても
すべて「(深い意味での) 大丈夫」なのでしょう。
この三次元の世界にいると「全然大丈夫なんかじゃない!」ことも多いけど。
視点を変えると、どれもが自分の成長につながる貴重な体験で、どんな自分でもOKで、すべてが宇宙の進化につながる存在や体験。きっと私たちは、もっと安心して生きていいのだと思います。
「はっ? 意味わからん」もOK。
私は時間のある時に、人が少なめの自然多き場所 (森林メイン) によく行きます。そこは人目とか優劣とか比較とか信じるとか疑うとかがない空間で、すべてを優しく包んで受け入れてくれる世界なのです。
まとめ:「疑う」は悪者ではない
「人を信じる」と「人を疑う」を調和させる方法について、お伝えしてきました。
ここまで書いてきた通り、私は、「疑うこと」は悪いことではないと思っています。
でも一般的には悪いこととされる。
初めに書いた通り気分がよくないことも多いし、相手の気を悪くさせることもある。
それらもすべてひっくるめた上で「信じる」と「疑う」を調和させて生きてゆく。
調和のさせ方は、人それぞれ、その時それぞれでいいのだと思います。(私は用心深すぎるのかもですが‥)
あなたは、どう考えますか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。