飽くまで自己診断ですが、おそらく私は「HSP(繊細すぎる気質)」&「発達障害」のグレーゾーン。
不安や気にしすぎばかり、超ネガティブ。そんな自分を変えたくて、あらゆる実践をし、その方法や経緯をブログに綴っています(*^-^*)
現在は「生きづらさ」を全く感じることなく、かつ「変な自分」も受け入れて、生きています☆
楽しく自分の過去を振り返り、ブログに「ココ、HSPっぽい&発達障害の傾向っぽい」という部分も書いておりまして‥。
今回は「幼稚園の年長時代」です。ご興味のある方だけ、お進みください(^-^;
遠くなったものと近くなったもの
もうすぐ年長になる春休み。東京の団地から他県へ、引っ越しをしました。
引っ越し当日は、二人のお友達が見送りに来てくれ、今思えば本当にありがたい(*_*)
母親と一緒にお別れの挨拶をし、親戚のおじさんの車で出発します。後ろの窓から二人にずっと手を振り、だんだん二人が遠くなっていく‥‥いまだに忘れられないですね。
新しいお家は、一軒家。もうエレベーターには乗らなくていいんだ。なんだか外が近くなったぞ!
しか~し。家の周りには、人も車も少ない道路と、よそのお家と小学校があるだけ。他は、なんか土と草がいっぱい。
しばらくしてから「田んぼ」とか「畑」とか「空き地」とか呼ぶのを知りました(;’∀’)
東京の団地にいた頃は、公園も駅も、スーパーも病院もヤマハ音楽教室も‥‥みんな近くにあったのに。幼稚園もまあまあ近かったし。
発達障害の傾向の一つか、私は「時間」に対してすごく敏感でした。新しい場所に1ヶ月も住むと、
- 幼稚園のバスは片道1時間ぐらい乗る
- ヤマハ音楽教室は自転車で約20分かかる
- 一番近い小さなスーパーでも自転車で10分
とか把握していて、すでに「遠くて時間かかるからメンドクサイ」という概念も持っていたように記憶しています。自転車を長くこぐのが疲れる。雨の日はカッパも着なきゃだし(*´з`)
その代わり、田畑以外に「近く」なったものは、土手と川。電車の中からしか見たことがなかったし。
初めて行った時は「圧倒」「びっくり」「感激」「いろんなこと想像」で頭が忙しかったなぁ。こういう場所での生活は、
- 切った段ボール紙をおしりにひいて土手滑りをしたり
- 近所のおばあちゃんが「イナゴ(昆虫)の佃煮」をおすそ分けしてくれたり
- 土手で摘んだ「菜の花」や「からし菜」をおひたしにして食べたり‥。
「見たことがない」「やったことがない」ことが、たくさんありました(^-^)
幼稚園で納得いかなかったこと
新しい幼稚園でも、HSP特有「いろんなことを深く考える」「その場の雰囲気や相手の感情を察しやすい」が盛りだくさん!
行くのが早くて帰るのが遅い
私はバス通園(オレンジコース)でしたが、この「バス」には、ほぼ残念な思い出しかなし(´Д`)
どうやら最初に渡されたのが徒歩通園用のバッジだったらしく、それを付けてた初日は「たらい回し」みたくされて…。初日から「ものすごく不安」を体験。
バスの座席は決まっていない。行きは、まだ何人かの子しか乗っていないからいいけど、帰りは乗るのが「一番最後」。きっと途中からこの幼稚園に入ったからだ‥それにしても、私はなんで毎日最後なの?
毎日毎日、空いている席を探す苦労。
- 男の子の隣しか空いておらず、座ったら周りの子たちにからかわれたり
- ボスみたいな女の子の隣に座ったら、カバンとか靴下とかバカにされ続けたり
- なぜか席がない日もあり、補助席とか先生の席に座らされる始末‥。
幼稚園自体も緊張や不安だらけで「憂うつ」なのに、最大の苦痛が帰りのバスって‥。
しかも、オレンジコースって、幼稚園に着くのは一番早いのに、幼稚園から帰るのは一番最後なんです。(前年度がどうだったかまでは不明ですが)
6歳の私だけど「幼稚園に払うお金はみんな同じはずなのに、おかしくないかぁ?」って、ずーーーっと思ってました。
毎朝幼稚園に早く着き、ガラ~ンとした教室に男の子と二人。「私はどうしてここに来る必要があるのだろう」と毎日思ってました。なんか病院みたいな異様な臭いも忘れられない( ;∀;)
徒歩コースや他のバスコースの子が帰っていくのを見る時。「どうして毎日一番最後?一刻も早く帰りたいのに」という心境でした。
結局ここの幼稚園も、私には「暗黒」か~?( ;∀;)
人を使うセキネさん
基本的に私は、もう幼稚園の頃から(もっと前から?)「内気」「敏感」「小心者」「心配性」。けれども年長ぐらいから、時折そのストレスを発散するかのように、言葉が少々キツクなることがあった様子(反省)。
どうやら隣の組の女の子の、気分を害してしまった時もあったようで‥。気になってその子の様子を見ていると、4人の男の子に何か話をしてる。
すると瞬く間に4人の男の子が、壁によりかかる私を囲む。一斉に私をからかってきて、そこを抜け出したくても出させてくれない!
私は近くにいる女の子を見ました。私のことを、笑顔で見てる。なんとも表しにくい「意地悪な笑顔」。‥‥笑顔にも種類があることを知ったのは、この時です。
もともと「人の名前」に強く興味がある私は、すぐさま彼女の名札を見ました。「せきね〇〇」って書いてある。
結局私が泣き、その場は終わりましたが、あの時のセキネさんの笑顔は何日も私の脳から離れませんでした。そんなにセキネさん、私にムカついたのかなぁ。
それにしても「人を使う」「しかも4人、しかも男の子!」というのが納得いかず。「やるなら1対1でやろうよ」って心で思ってました。
ちなみに4年後、セキネさんは市の人権作文コンクールで入賞していて、超ドキドキしながら読んでみると「いじめをやめよう」という内容。
「ここに載っている人、幼稚園の時に私をいじめました~。しかも自分の手は汚さず4人の男の子を使って~」とみんなに言いふらすことを、私は「想像」しました。けっこう嫌な性格だったな(笑)
お泊り保育って、なんであるの?
「7月にお泊り保育がある」って知ってから、ずーーーっと憂うつでした。
ただでさえ幼稚園から早く帰りたいのに、「帰れない」なんて!
泣いちゃう子や、おもらしする子もいるみたいだし。先生方とか係のお母さんとか、きっと夕飯や布団の準備など忙しいだろうし。
それに数ヶ月前からこんなに憂うつに思う子どもが、ここにいる(*´з`)
6歳だから「意義」って言葉は知らなかったけど、お泊り保育の意義は何なのだろうか、真剣に考えてました。
そのうち「楽しみ~」と言う子が出てきて、「ああ、楽しみな子がいるからなんだ」って仕方なく自分を納得させましたね。
ちなみに当日は…。おやつのメロンを食べた段階でお腹が痛くなり(本当に)、幼稚園に泊まらず帰宅。引き寄せの法則?(笑)
先生から届いた暑中見舞いに「お泊り保育は残念でしたね」と書かれていたけど、「いや~残念なんてとんでもない。腹痛バンザ~イ!」って感じでした(;’∀’)
先生が優しくて大好きだった
唯一よかった点は、担任の先生がすごく優しかったこと。
先生とのあたたかい思い出は数知れず。前述のセキネさんの話をした時は「〇〇ちゃん(セキネさん)は、意地悪な子ではないよ」と言ってたけど(^-^;
東京の幼稚園のハラダ先生と違って
- 大人の前でも子どもの前でも変わらない態度。
- ゲロを拭いてる時も、子どもの気持ちに寄り添ってるし。
- 子どもたちに向かって「ごめんなさい」って言う時もある!
ちなみに隣の組は、オオカミみたいな顔をした怖~い先生で、「こっちでよかった」っていう半端ない安心感。
先生は卒園式の1週間ぐらい前から「帰りの会」で毎日泣いてました。それは本物の涙で、私たちのことが本当に大好きで、お別れが辛いんだなぁって、私にはわかりました。
この先生には、しばらく年賀状を出していました。それほど大好きでした。
でもやっぱり自宅がいい
年長になってからは、父親がプレゼントしてくれたノートに日記をつけていました。幼稚園であった出来事とか、お出かけした時のこととか。
誰に見せるでもない、とにかく文字を書くのが好きで楽しかったことを覚えています☆
子どもの頃は、単純に自宅が好きでしたね。怖いこといっぱいの団地でも、田舎の一軒家でも。
40歳過ぎて、そういう「本質」に戻った気がしています。「一人」が好き。あっ、でも「人」も好きです!
特に思春期~20代は遊びまくって、疲れ果てて。それはそれで楽しかったけど、今思えば無理をしていたのかもしれないなぁとも(^-^;、
子どもの頃にどんなことが好きだったのか‥‥。楽しく振り返ってみると、自分の本質を知ることにつながるかもしれませんね(*^-^*)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。