子育てに正解はないと言われるし、本当にそうなんだろうなぁと思うこの頃。
でも正解がないからこそ悩む、迷う (*´ω`)
自分の子育てに自信が持てない。あのママのやり方の方がいいのかもとか思ったり‥‥。私もそうでした。
この記事を読んで、ほんの少しでも「心がラク」になってくださると嬉しいです (^-^)
ここでは、私が考える「子育てに正解はない」の意味や、ラクになる (かもしれない) 考え方をお伝えしようと思います。
悩んでいること自体が素晴らしい
「どう子育てするといいのかな」「このやり方はよくないのかな」‥‥。
こうやって悩んでいること自体、
- 子どもに愛情を持っている
- 子育てに対して真剣である
と言えるのではないでしょうか。いろいろ迷ったり試行錯誤したりしているのも、おそらく常識の範囲内であると思います。
こんなふうに子育てしている人に、他人がとやかく「これが正解、これが不正解」とは言えないのでは?
「これが正解!」と自信を持って言う人も、その人の知識や経験上「正解だと思っている」 だけ。
本来、どの子にも、どの親にも当てはまる「正解」は、ないはず…。
愛情を持って真剣に考えて子育てしている時点で、素晴らしいのです。お子さんも十分に幸せだと思いますし、もっと自分で自分を褒めてあげていいのではないでしょうか。
「子育てに正解はない」とは?
「子育てに正解はない」とは、決して「正解がないから虐待でも何でもしていいんだ~」ということとは違います。
私が考える「子育てに正解はない」の意味を、お伝えします。
絶対的な「これが正解」はない
たとえば、子どもを同じように叱っても
- Aくん⇒ 理解できず気にもせず、次も同じことをする
- Bちゃん⇒ 怖くなり、自分のやることに臆病になる
- Cくん⇒ 叱られた内容をきちんと理解し、次に生かせる
- Dちゃん⇒ 反発をするも、心ではすごく傷ついている
- Eくん⇒ 叱られた内容よりも「僕は叱られてばかり」の方に目を向け、自信をなくす
など、理解度や受け止め方は、子ども一人一人違いますよね。
性格や持って生まれた特性は、十人十色。
加えて、子どもの考え方や価値観は、親以外 (祖父母・学校や幼稚園の先生・お友達・本・テレビなど) からも日々影響を受けていきます。
ある子にとっては「合っている (だいたい正解)」。でも別の子にとっては別の方法の方がいい、というケースもあるわけで…。
また、たとえば「全く叱らない (褒めまくる) 子育てが正解」だとも最近よく聞きますが、このように育てられた子どもは「難しい課題に挑戦する意欲が湧かなくなりやすい」などの脳科学の調査結果もあります。
よって、子育てに正解はないとは「絶対的な正解はない」とも言い換えられるのだと思います。
正解を考えても「キリがない」
一日を振り返ってみるとわかりますが、「子育て」って一括りで言っても、いろんな場面に分けられますよね。
小学校低学年ぐらいの子を例に挙げると
- 持ち物を親も確認する? 全部自分でやらせる?
- 降水確率30%。傘を持っていきなさいと言うか言わないか
- 学校からの帰宅後どのような声がけをするか
- お友達とのトラブルにどうかかわるか
- 宿題をどの程度までみたり手伝ったりするか‥‥
たった一日の子育てを振り返るだけでも、とても書ききれないぐらいの「いろんな場面」があります。
一つ一つの「正解」を考えていたらキリがない~( ;∀;)
子育てに正解はないとは「正解を考えてもキリがない」とも言えるのではないでしょうか?
現時点で正解かどうかは「わからない」
子育てにおける、日々の一つ一つの声がけや行動。
仮に親にとっては「正解だ!」と思っても、本当に正解になるかどうかはわかりません。
子どもは、さまざまな人や出来事から学び、日々成長しています。加えて、子どもの気分や体調によって受け止め方が違う場合もあるでしょう。
また、以下のようなケースも十分にあると思います。
- 子どもの頃‥‥何でもやってくれる母親だから、自分でやる必要がなくラクだな~と思う。
- 大人になり‥‥人と比べて自分には「できないこと」が多く、何でもやってくれた母親のことを恨む。でも「できないこと」は自分で頑張って克服していく。
- 出産後‥‥仕事をしながら子どもの世話もよくやってくれた母親に尊敬。「子育てに正解はないこと」「それぞれの母親にそれぞれの良いところがあること」などを身をもって知り、今では母親に感謝している。
同じ子育てをしても、本心の部分で子どもがどう感じているのか、またそれが将来的にどう変わっていくのか、どう影響していくのかは、現時点ではわからないということ。
よって、子育てに正解がないとは「現時点では正解がわからない」とも言い換えられるのではないでしょうか。
だから、考えすぎてもしょうがない
どうせ「正解がない」「わからない」のなら、考えすぎる必要はないのですね。
肩の力を、抜いていい (^-^)
自分のやり方に自信を持っていいし、「こっちのやり方の方がいいのかな」と思えば、柔軟に試してみればいいし。
すべてにおいての「正解」がわかればラクだけど、わからないからこそ面白い (*´▽`*)?
もちろん悩み迷うことは、決して悪いことではありません。
ただ、悩み迷いすぎる必要はない。さらっと悩んだり迷ったりし、その時に「子どもに最善だと思う」声がけや方法を採用すればよいのだと思います☆
どうせ子育てに正解はないのだから ( ;∀;)
えっ? 自分がイライラしてしまったり感情が安定しなかったりで、理想の声がけや子育てができないこともある?
そんな時もありますよね。
こんな例を一つ。
「完璧な母親に育てられた」という友人は、大人になった今、かえって窮屈な思いを抱いているようです。友人自身が母親になってからは「自分は自分の母親のようになれない」と苦しんでいるとか。
まあ、これは一例ですし、友人ももうちょい年齢を重ねたら、また変わってくるかもしれませんけどね (^-^;
今の私は、もし子どもにとって「不正解」の声がけや子育て法があったとしても、それを反面教師にしてくれると信じています。子どもの力を、信じています☆
大丈夫。「愛情がベースにあれば、子どもは勝手に育っていくもの」ぐらい、大らかに考えるのも一つですね。
まとめ:子育てに正解はないからこそ
私が考える「子育てに正解はない」の意味と、心をラクにできる (かもしれない) 考え方をお伝えしてきました。
子育てに正解はないからこそ「悩む (=ネガティブ)」ではなく、
せっかくなら、子育てに正解はないからこそ「考えてもしょうがない。ラクに楽しくいこう (=ポジティブ)」と、とらえられるといいですね☆
ほんの少しでも心がラクになっていただけたら、幸いです。
最後まで目を通していただき、ありがとうございました。