「一隅 (いちぐう) を照らす」という言葉を最近知った、恥ずかしながら。
感銘を受け、出会えたことに感謝の気持ちが湧きました (‘ω’)
しかし、多くの人が認識している「一隅を照らす」の意味は、間違いだという説もあるとか‥‥
ここでは「一隅を照らす」の意味、間違いだとされる説について、一隅を照らす具体例、私が思うことなどをまとめます。
「一隅を照らす」とは
「一隅を照らす」の意味や、間違いだとする説について、簡単にまとめます。
「一隅を照らす」の意味
「一隅」とは「一方の隅」「片隅」という意味。 (「都会の一隅」「庭の一隅」などの感じで使われる)
「一部分」と言い換えることもできるでしょう。
この広い世の中で「自分が今いる場所」や「置かれた立場」は「一隅」と言えます。
「一隅を照らす」とは「一人一人が自分に与えられた役割や、いま自分にできることをやり、その場所に光を与える」というような意味。それが集まることで、光あふれる世の中がつくられる。
天台宗を開いた最澄様は「一隅を照らす人が、国の宝だ」と仰ってくださったのです☆
「一隅を照らす」は間違いだという説
しかし、以下のサイトによると‥‥
singakumeiseisha.com/kikou/121227itiguu-wo-terasu-nituite/121227itiguu-wo-terasu-nituite.htm
小学館の「日本名言名句の辞典」では「『照千一隅此則国宝)』と読むのが正しい」とあるそう。
ん? これは「一隅を守り、千里を照らす人が国の宝」というような意味。
「千里」とは「きわめて遠い場所」や「多くの人」などを指すので、
- 芸能人やプロのアスリート、アーティスト
- 総理大臣、国会議員などの政治家
- フォロワー数の多い人、インフルエンサー
の方々などしか、千里は照らせない‥。さっき書いた「一隅を照らす」の意味とは真逆じゃないか ( ゚Д゚)
なぜ説が分かれるのかというと、従来は原文を「照干一隅此則国宝」として解釈してきたけど、本当は「照千一隅此則国宝」なのではないか、と主張する人たちが出てきたからだそう。
「干」という字は、漢文において修飾語、前置詞。英語で言う「in」や「at」のようなものだそう。
「千」という字は、前述の通り「千里」という意味を表すもの。
ということで、全く意味が変わってくるのです (‘_’)
最澄様の思いは、果たしてどっちだったのか‥‥
ただ、天台宗としては昭和49年「『照于一隅此則国宝 (一隅を照らす人が国の宝)』と読み下す」という見解を示し、現在「一隅を照らす運動」の総本部でも、この決定で統一しているそう。
「一隅を照らす」の意味が間違いであろうとなかろうと
世の中の言葉には
- 本来の意味とは違う意味で広まったもの
- 多くの人が正しいと思っているけど実は違うもの
- いろいろな説があり、どれが本当か明確でないもの
などが、けっこうあるのだと思います。
飽くまでも私は「本来の意味」とか「どれが正しいか」とかよりも、ある言葉や意味が自分の生きる力・助けになっているのなら、感謝して大事にしたい。
「一隅を照らす」が仮に誤読だったとしても、多くの人の座右の銘、心の支えになっているのは事実。
皆が皆、千里を照らすことはできません。
もちろん「千里を照らせる人」を目指して頑張るのも素敵だけど、叶わなかった時に
- 自分を責めたりダメ出ししたり
- 千里を照らしている人に嫉妬したり
- 生きること自体が楽しくなくなったり
してしまう可能性がある (>_<)
そんな時に「一隅を照らす人が国の宝だ」という言葉は、
- 自分を肯定し、自信を持って生きられる
- 人それぞれの一隅があるから、人と比べる必要はない
- やる気、生きる気力が湧いてくる‥‥
そんな助けとなってくれると思うのです (^-^) ☆
一隅を照らす具体例
一隅を照らすことなら、誰もが今すぐ始められます。
お金がもらえる仕事で
お金をいただけているということは、基本的に何らかのかたちで社会の役に立っている。
たとえ微力でも、たった数人にしか影響を与えなくても‥‥
自分なりに誠実に心をこめて仕事をすることで、社会の一角に光を与えていることになります。
無償の仕事・活動でも
たとえば
- 家事、育児、家庭における介護
- 自治会やPTAなどの活動
- ボランティア活動、慈善活動
- 人や世の中のためになるSNSでの発信、ネットでの活動
- 寄付、物的支援、相手先が喜ぶ物品の提供
- その他の社会貢献活動
などにおいても、一隅を照らして生きられるでしょう。
自分の「在り方」でも
何か仕事や活動をしていなければ、一隅を照らせないのか。
いや、心がけ次第で一隅は照らせます。
たとえば、以下のようなことがあるでしょう。
- 笑顔、和やかな表情で人に接する
- 相手が喜んだり前向きになれたりする言葉をかける
- 思いやりのある行動をする
- 地球環境にいい (エコな) 行動をする
- 自宅の掃除、外のゴミを拾うなど美化に関する行動をする
- 心をこめた「ありがとう」を言ったり、会釈をしたりする
- 企業・お店・番組などに「喜びの声」「感謝の声」を送る
- 企業・団体・個人などを応援する etc.
これなら、本当に今すぐにでもできます。 (今はネットもあるので)
障がいや病気などで上記のようなことが直接できなくても、誰かにとっての「生きる力」になっていたり、目に見えない心やエネルギーで一隅を照らせることもあるでしょう。
「人間の最大の罪は不機嫌である」というゲーテの言葉があります。
不機嫌・イライラ・怒りなどの感情は、人に連鎖しやすい。誰かの表情・言葉・態度・行動しだいで、人は簡単にネガティブな気分になります (~_~メ)
たとえば、
- 職場の上司が不機嫌だと
- ⇒なんだか自分も不機嫌になり
- ⇒その後 2人の部下や、帰宅後 3人の家族にも移る
というようなことが起きやすい。
この例は、たった一人の上司の不機嫌が、合計6人に広がってる (さらに広がるかも)。
だからこそ、相手が喜んだり穏やかでいられたりする表情・言葉・行動は「かけがえのない光」。自分の周りを照らせば、その光はどんどん世の中に広がっていくことでしょう。
一隅を照らす積み重ねが、千里を照らす可能性も!
「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道」
というイチローさんの名言があります。
仕事や活動の内容によっては「一隅を照らす」を誠実に、心をこめて、地道に続けるうちに、「千里を照らす人」になるような流れが来る人もいるのです (*’▽’)
せっかくなら、明るく楽しく続けると、そのエネルギーが多くの人を引き寄せやすいとも言われますね☆
まとめ:自分なりの一隅を!
「一隅を照らす」の意味や、一隅を照らす具体例などについて、お伝えしてきました。
誰にでも「自分なりの一隅」を見つけることができます! また、
- 自分の一隅と他人の一隅を比較する必要はないし
- 一隅は一つの仕事や立場に限らず、いくつも持っていいし
- 自分の心や周波数を常に整えていれば、常に一隅を照らせる
とも言えます (^-^)
もちろん、人間だから一隅を照らせない時もあるし、反対に一隅を暗くしてしまうこともある。
でも、そんな自分にもOKを出して生きることが、他の人のそういう部分を受け入れることにもつながる。それも十分に「一隅を照らす生き方」と呼べることでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
とても感動したりなるほどと思ったりするかなり参考になるブログですね。
いつも有難うございます。
マイケルこと朝長 通博様、このたびは記事をお読みいただき、コメントもくださり、ありがとうございます。
記事執筆の励みになります。今後も精進してまいります。
いつも感動的な、また参考になるブログを有難うございます。
これからも拝読させて頂きますね。
昔から知っていた言葉でしたが、転職をきっかけにこの言葉に再会し、救われたとともにやる気が出ました。ブログ筆者の「解釈はどうあれ、、」にも、全く共感です。
匿名様、このたびは記事をお読みいただき、ありがとうございます。
内容に共感し、コメントもくださり、嬉しいです。ブログを続けてきて本当によかったです。