
今回は、自由気ままに書いてみる (*^-^*)
最近「ちょっとした望み」が現実化することが増えた
「ちょっとした望み」の、ごく一例。
- 金婚式のお祝い会が楽しくなるといいな
- 我が子の部活に1年生が入部するといいな
- 出かけ先が人混みじゃないといいな etc.
思い通りに叶うだけでなく「光に満ちたように楽しい」とか「想定外の人数」とか、奇跡的なことも目立つ。
叶わないなら叶わないで、それも学びの機会だし、別にいいと思ってる。
執着は、ほぼない。
でも最近は「望み」というより「そうなるんじゃないか」という確信があるような、変な感じの時もある。
約9年前に引き寄せの法則を知った時は「そうなってほしい」ばかりだったのだけど。 (叶わないとネガティブになる)
そういえば「小さなシンクロ」も、以前より激増しているなぁ (;’∀’)
もちろん「自分の望み ≠ 他者の望み」のこともある
どうしても「自分の望みが叶う=他の人の望みは叶わない」というケースもある。
たとえば「出かけ先の人が少ない」ということは、そこの経済が潤わない可能性が高いわけだし。
でも、誰もが「すべての望みが叶う」わけではなく、そういう意味ではお互い様。
極力、三方ヨシ (自分にも周りの人にも世の中にもヨシ) の望みを抱いていきたい、とは思う。
「いなくなればいい」なんて思っていないのに‥
でも、ふっと
- 後ろの車、なんか嫌だな
- あの先生、波動が低くなっちゃったなぁ
- あの店員さん、ちょっとなぁ‥
などの思いを抱くと、その人がいなくなっちゃったりする (‘Д’)
数年前からそういうことはあり、以下の記事も書いているけど、現実化のスピードが加速しているような‥‥
★心から「ありがとう」と思うと、なぜか嫌な人がいなくなる話 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
★42歳以降、嫌な人が目の前から消える…。方法&体験談&思うこと | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
我が子のお友達?に対し「この子がいると少し面倒なんだよなぁ」と思った矢先に「病気でしばらく学校を休む」と聞いた時は、さすがに怖くなった。 「世にも奇妙な物語」のオープニング曲が、勝手に頭に流れる。
えっ? 私が「嫌だな」と思ったのがいけなかったのかな?
「嫌だな」も悪いカルマ (業) で、後から自分に返ってくるのかもなぁ (‘_’)
仏教で言う「意業 (心で思うこと・思考)」だし‥。
でも、卵が先か鶏が先か
「卵が先か鵜が先か」とは、
- どちらが先に起こったのかわからないこと
- 原因と結果が循環し、明確に決められないこと
- 優先順位を決めにくいこと
などの状況を比喩的に表す言葉。
たとえば「観光客が多いからお店が増えたのか、お店が多いから観光客が増えたのか‥? 卵が先か鵜が先かだね」のように使いますね。
今回の記事内容の場合、
- ほんの少しでも私 (たち) が「嫌だな」と思ったから、その人がいなくなったのか
- その人がいなくなる未来がわかっていたから、私が「嫌だな」と思ったのか
どちらか、明確ではないのかも‥。
後者だとすると、大元の自分 (宇宙や神などとも呼ぶ) とつながり、そこからの情報を無意識のうちに得ている。 「嫌だな」という思いも、私が抱いたというよりは、抱かされているだけ、みたいな。
「願いが叶うことが増えた」というのも、そうなる未来が心の奥でわかっているから、その願いが生じたのかもしれない。
そういえば、こういう話は、いつか誰かの本で読んだ気もする。
すべて証明しようのない話なのだけど (;’∀’)
自分の「ちょい悪な心」にもOKを出す
人間だから、ちょっと悪い心が湧き出ることもある。
悪意、利己心、他者への (悪い) ジャッジ‥‥
でも勝手に浮かぶ考えや思いは、仕方ないじゃん。
だって「勝手に」浮かぶのだから (;’∀’)
「個の私 (名前がある私)」が思っているのではなく、どこかから思わされているだけかもしれない。勝手に浮かばなくなるためには、潜在意識の浄化が必要で、まだまだ時間がかかるのかもしれない。いろいろわからん。
ただ「ああ、今、そう思ったんだなぁ」って受け止める。
いつでも愛・思いやりの心を持てるわけではない。
そんな自分を全部ゆるしながら生きるけど、極力
- ダラダラ悪い心でいる
- 行動に悪意を乗せる
- 人や組織に悪い念を送る
などは、やっぱりしたくないなぁ。
ニュートラルでもいい
でも、いろんな角度から考えると
- 何が「善」で、何が「悪」なのか
- 行動に (一般的な) 思いやりや応援を乗せるのが、必ずしも愛なのか
- 神様なら、一体どうなさるのか
わからないケースもある。
だから、全部ひっくるめて「ニュートラル」でもいいのだと思う。
- 愛も憎しみも抱かない
- いいも悪いもない
- 勝ちも負けも願わない‥
対立する二つのいずれにも属さない。 中間、中立、ニュートラル。
愛や思いやりの気持ちを、何のためらいもなく抱ける時は、抱いて過ごす。行動にも移す。
そうでない時は、別のことを考えて「心地よく」なったり、あるいは「ニュートラル」でいいのだ。
結局、卵が先か鵜が先かも、私に現実創造力があるのかも、わからない。 何も、わかり得ない。
でもニュートラルなら、何もないのだ。 何もない安心感も、あるのかもしれない。
場合や状況により、堂々とニュートラルを選んでいいのだ。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。






