夏至を境に、また一つ、ストンと落ちました。
- 「評価されたい」「自分がこうなりたい」は、ほぼゼロ。
- 家事・育児・PTAの仕事・趣味などを丁寧にやりながら
- ただ毎日を心地よく、大切に過ごすだけ。
- 厄介なことが起きても、ただただ受け入れながら
- やるべきことに集中して生きるだけ。
そんな自分の生き方に「これでいいのだ」と心から思えた感じ。
その感覚が、体全体でわかった感じ。
「心のラク」を追求して約7年。ようやく真の「心のラク」に近づいてきた感もある。
この記事では、飽くまで私の体験談と今の感覚を書くだけなので、ご了承ください。一応内容としては「今までの経緯」「今の心の感じ」「今までに私がしてきたこと」などをまとめます (^-^)
なぜ今までは心がラクでなかったか
昔の私は、心がしんどすぎ。
- 心配性で、何かにつけ不安ばかり。
- 人からどう思われるかが気になりすぎ
- 承認欲求が高すぎ
- すぐに過去を思い出しては後悔や恥
- すぐに一人反省会をしては自責、自己否定
- 他人に対して不満や愚痴ばかり etc.
あらゆる実践を続け、少しずつ心がラクになり、それを2019年からブログに綴っています。
最近は、だいぶ「心をラク」に過ごしていたのですが、たまにうずくのが
今の生き方でいいのか ということ。 特に
- ほぼ専業主婦 (稼ぎがほぼない状態)
- ほぼ好きなことしかやってない
- (その好きなことも) 極めようという意識もない
心のどこかで、そういう自分を許せていない部分があったのかも。
長年「バリバリ働く」ということに強い憧れがあり、最近まで残骸のように残っており、でもずっと叶えられないし。
承認欲求もほぼなくなってたけど、まだ少しだけ残ってた?
「どんな自分もOK」とか偉そうに書きつつ、自分も完全にはできてない (笑) 周りのママさんは仕事やパートもしつつ、家事・育児・PTAの仕事などもこなしているのに、自分はこれでいいのか。
また、起こる出来事に「嫌だ」と、どうしても思ってしまう (>_<)
- (この地域にしては) 大雪が降った
- ちょっとしたトラブル
- 自分や家族の体調不良 etc.
嫌だと思うのが嫌だから、不安や恐怖が生まれる。以前に比べたらだいぶ減ったけど、まだ少しだけ残っていたのです。
今、心はどんな感じか
夏至当日、PTA役員の仕事をこなし、少し残念なことがあった後。
突然、自分の中の重~いものが落っこちて「ああ、ただただ、今の生き方でいいのだ」と。
- 人は関係ない。過去も関係ない。未来はわかりようがない。
- 飽くまでも私は、現在「ほぼ専業主婦」の状態で生きていけてる。
- 家庭も楽しいし、周りの方々にも恵まれている。
- 家事や育児、PTAの仕事など、自分なりに懸命にやっている。
- ブログも続けられている。
- いくつかの趣味・好きなこともある。
- 「和顔愛語」と「万物に感謝」を心がけて生活している。
それの、何がいけないのだろうか。 十分ではないか。ありがたい限りではないか。
「人は人、自分は自分」が、本当の意味でわかった感じ。
ブログも、上手く書けなくても低レベルでも、私にできる発信をしていくのみ。
人様に読んでいただけなくなったとしても、神様に「いいね」がいただけるような内容を心がけ、余計なことを考えずに集中して書き、ただただゼロポイントフィールドに納めるようなイメージになった。
いい意味で頭がボワーっとなっており、ただ流れに沿って生きていくみたいな感覚。
「それでいいのだ」という、絶対的な安心感。
嫌なことも「ああ、〇〇が起こったんだ」と思い、ただ目の前のことをやるだけ。
- 雪が降れば、ただ無心で雪かきをするだけ
- トラブルがあれば、愛・思いやりの気持ちで対処するだけ
- 体調不良も、体をねぎらいつつ、やることをやって時が過ぎるのを待つだけ
目標もない。評価もない。競争もない。見返りも気にしない。ほぼ、理想もない。
一人でいると、自分がないような感覚になることも増えた。
今やる必要があると思うこと、今やりたいことを、ただやるのみ。
日々感謝し、思いやりの心と共に、自分にできることややりたいことを、無理のない範囲でやるだけ。そうやって毎日を心地よく生きていく。ただ、それだけでいいのだと。
私流「今の生き方でいいのだ」と思えるためには
飽くまでも私の場合ですが、今までにしてきたことを挙げると
- できるだけニュース・情報・広告などを遮断する
- 静的瞑想の時間を毎日とる
- 動的瞑想 (無になれることをする) の時間を増やす
- 日常生活を含め、今に集中する (いろいろ考える隙を与えない)
- 自分の周波数を高める実践をする etc.
「自分の周波数を高める」とは「心地よくいる時間を増やす」というようなこと (*^-^*)
たとえば
- 毎日毎日、自分を褒める
- どんな自分にも寄り添い、なるべく自責や自己否定をしない
- 今あるものに積極的に目を向け、感謝する
- 人や物事の良い面を探したり目を向けたりする
- ネガティブ言葉を減らし、ポジティブ言葉を増やす
- 好きなことや心地いいことをする時間を増やす
- 朝日を浴びたり、深呼吸をしたりする習慣をつける
- 緑の木々を見る習慣をつける
- 軽い運動 (ヨガ、ストレッチなど) の習慣をつける
- 断捨離や片付け、掃除の習慣をつける etc.
これらを「無理のない範囲で」コツコツ続けると、自分の心や起こる出来事が「良き方向」に変わってきます。さらに続けていくうちに、真の「心のラク」に少しずつ少しずつ近づく感じ。
ご興味のある方は、以下の記事も。
★波動・周波数を高める意味と方法。私が日々やっていること一覧! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
★瞑想って簡単! 静的瞑想でも動的瞑想でも,自分に合う方法でOK。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
「今の生き方は嫌だ」と頑張るのも自由
ここまで書いてきたことを、私は勧めているわけではありません。
ただ「私は今こういう状態で、今までで一番心がラクだと感じています」とお伝えしているだけです。
だから、たとえば
- もっと自分にいろんなことを足していきたい
- 常に上を目指して頑張りたい
- 人と競争し、人からの承認を得て生きていきたい
- 流れに沿うのではなく主体的に生きていきたい
- 刺激的に生きていきたい etc.
どれもOKです。
「私たちは、いろんな体験をするために生まれてきた」という説もあります。
たとえば、一般的に言われる「上」を目指し、実際に上がれれば、上からの景色を見ることができます。初めて知ること、学ぶこともあるでしょう。それは素晴らしい体験だと言えます。
よく言われることではありますが、私たちは誰もが「唯一無二」の存在で、みんな違ってみんないいのですよね。大きな視点から見れば、どう生きてもいいのです (一応「多大な迷惑をかけない生き方であれば」と言っておきます)。
まとめ:「人は人、自分は自分」で本当にいい
「今の生き方でいいのだ」と思えるようになった私の体験談を、お伝えしてきました。
ちょうどこの記事の骨組みをつくった直後‥‥
毎日読ませていただいているワタナベ薫さんのブログが「シンクロ~!」という感じの内容でビックリ!
私は、他の方のブログもいくつか読んでいますが、皆さん素晴らしい文章や内容で、今までは「私はダメだなぁ」という意識がどうしても出てきていました (最近でも、ほんの少しは感じちゃってた‥)
それが、なくなっていました。
ただただ「素晴らしい」と感動できたのです☆
自己否定みたいな感覚がなくなり、他人様のことを素晴らしいとだけ思えると、なんて心がラクなのだろう~ (*´▽`*)
でも、まだまだ「心がラク」への追求は続きます。
「追求」と言っても、決して「追い求める」のではなく
- ゆる~く、ちっとも頑張らず
- ただ自然の流れに任せていく感じで
- 一つ進めたことに気づいたら感謝して。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。