使命とは? 調べてみると
- 与えられた重大・重要な務め
- 責任をもって果たさなければいけない任務
- 社会の役に立てる何か‥‥
なんか「大きなこと、多くの人に影響を与えることじゃなきゃダメなの?」って思っちゃう。
でも、自分が「重要な」とか「社会の役に立ってる」とか思えれば、それを使命認定しちゃっていいんじゃない?
人に言わなくていい。心で思うだけで、イキイキ生きられるのさ ヽ(^o^)丿
ということで、この記事で言いたいことは終了です。
ここからは、使命の定義と、具体例をたくさん考え、「でも使命が見つからなくても焦らずに~」というお話をしていきます。読みたい方だけ、お進みください☆
使命の定義って?
結局、使命の定義って、何なの?
周りの人から「使命を全うしているのね」と言われても、周りの人が勝手に「使命」と思っただけだよね。
「人は誰もが天から授かった使命がある」とも言われるけど、誰かが答えを教えてくれるわけでもない。「自分で探していきましょう」的な感じになってる。
仮にスピリチュアルカウンセラーみたいな人に教えていただいても、それを信じるかは自分しだい。
結局「自分が使命と思えば、それが使命」という気がするし、それでいいのでは?
また、使命は「人生のうちでいくつあってもいい」「その時々で変わっていってOK」だとも思います。
使命の具体例
「こういうことを使命にすればいいのでは?」という具体例を、たくさん挙げます。
今やっている仕事
世の中のほとんどの仕事は、とらえ方一つで「使命」と思える。
たとえば、私がやったことのある仕事やバイトだと
- きれいで美味しいサンドウィッチをつくり、お客様を幸せにする
- 飲食店を掃除し、お客様に快適に過ごしていただく
- 障害のある子ども一人一人と信頼関係を築き、寄り添った指導をする
- 感じの良い電話応対で、お客様に心地よくなっていただく
- 読者に寄り添い、少しでも役立つ情報やヒントを記事に盛り込む etc.
友人の仕事やパートを例に挙げると
- 顧客のニーズに沿った、快適で丈夫な家をつくる
- お菓子の製造と販売。工場でその仕事の一端を担い、お客様に喜んでいただく
- ごみを回収し、街をきれいに保ち、市民が気持ちよく過ごせるようにする
- 誰かが必要とする、入力や分析の業務を担う
- 学校給食をつくり、子どもの健康と喜びに貢献する etc.
誰かの役に立っている。誰かに心地よさや楽しさを、提供している。
その時点で、堂々と「使命」にしてもいい。
「一隅を照らす」という言葉の通り、一人一人が自分の場所で輝き、周りの人の役に立ったり何かを提供できたり。それこそが私たちの役目であり、その集まりで世の中は成り立っているのです。
お金にはつながらない仕事
一般的には「仕事」と言うと「お金につながること」を連想する人が多い?
でも、お金につながらなくても、人の役に立てていたり、何かを作り出せたりすることもある。
そういう仕事や活動を「使命」にしている人も少なくない気がします。
たとえば、うちの地域の自治会長さんは、地域の仕事を「使命」って感じでやってくださっている。本当にありがたいし、キラキラ・イキイキして見える70歳です☆
他にも、以下のようなことがあるでしょう。
- 各種ボランティア活動
- 地域の民生委員や役員の仕事
- 街・海・山などをきれいに保つゴミ拾い etc.
ネットの普及で、趣味を使命にもしやすくなりました。自分が好きで発信したことが、誰かの役に立ったり癒しになったりすることも多いもの。(迷惑行為をすることなどは論外です)
専業主婦 (主夫) の仕事
専業主婦 (主夫)。なりたくてなった人と、ならざるを得なくてなった人がいる。
いま楽しい人、嫌で仕方ない人、何も感じない人‥‥さまざまでしょう。
いずれにせよ「使命」と思ってもいい。
- 家族が気持ちよく過ごせるよう、掃除をする
- 家族の健康を考えて、食事をつくる
- 子どもを育てる、誰かのお世話や介護をする etc.
「たった何人かの役にしか立てない」とムナシクなる必要なし。
どうせ、だいたいの仕事は、一部の人の役にしか立てません。宇宙的に見れば、変わらない。
「世界平和のためには、まず家に帰り、家族を愛してあげること」というマザーテレサの名言もあります。
家族以外の部分でも使命を持ちたいのであれば、前述の仕事・パート・地域の活動やボランティアなどに励むのも、もちろんよいでしょう (‘ω’)
努力する姿や振る舞いを見せる
2006年、夏の甲子園で注目を浴びたハンカチ王子こと斎藤佑樹投手。
プロ野球選手になってからはケガなどに苦しみ、2021年に引退しました。
当時の栗山英樹監督は、斎藤投手に「頑張る姿を見せるのも使命」と声をかけていたと言います。
斎藤投手のような有名人じゃなくても
- 目標に向けて努力したり
- つらい状況にあっても、めげないでいたり
- 何かを一生懸命に取り組んだり‥‥
そういう姿や振る舞いを、周りの人に見せる、示す。それを使命にしてもいいのだと思います。
ただ楽しむだけでも
ひろゆきさんや心屋仁之助さんなども仰っています。
「ただ楽しむのが使命でもいい」って。
あなたが楽しそうに生きている、何かを楽しみながらやる。
それだけで、周りの人も楽しい気分になったり「自分も楽しいことをしたい」っていう気分になります。
そういう人が一人ずつ増えれば、世界全体も楽しい空気になるから、世界平和にも貢献していることになる!
そりゃあ、プロ野球選手が楽しそうに野球をしていれば、与える影響は広いし大きいかもしれない。
でも草野球だって、それを見た人を元気にできるかも。仮に無表情でバッティング練習していたとしても「楽しい」という気持ちがあれば、波動 (目に見えないエネルギー) で伝わるものです☆
誰かの応援をする
「自分が何かをする」というより「人の応援をすること」に使命を感じてもいい。
- 家族や友人がする活動をサポートしたり
- 好きなスポーツを見るために、会場に足を運んだり
- 推しのイベントに参加したり
- ネット上で応援コメントを書き込んだり
- 好きな芸術家や作家の作品を買ったり‥‥
応援してもらえれば、相手は嬉しい。かつ自分も「使命」だと思え、イキイキできる。一石二鳥です。 (依存的になり、相手に迷惑をかける行為をするなどでは困りますが…)
大好きなモノを「もっと広めたい!」でもいい。
- 農業を「かっこいいもの」と思ってもらえるよう、オシャレに農作業する
- ラジオ番組のオリジナルTシャツを着たり、ステッカーを車に貼ったりする
- エレクトーンを、もっと子どもたちに広める活動をする etc.
たとえ自分が知らない所でも、仲間が増えれば嬉しいですよね ヽ(^o^)丿
表情・言葉・行い・振る舞いだけでも
「世の中に、こういう人が増えてほしい」ということを、自分が体現する。たとえば
- 笑顔で人に接する
- いつも和やかな表情でいる
- 「ありがとう」をたくさん口にする
- ポジティブな言葉をたくさん口にする
- 人を喜ばせることを言う、する
- 品格と落ち着きをもった振る舞いをする
- 一日一善を実践する etc.
仕事がない、好きなこともない。入院した、下半身不随の生活になった‥‥ どんな状況でも、心がけ次第でできる「使命」とも言えるでしょう。
文学者ゲーテの名言「人間の最大の罪は不機嫌である」。不機嫌が及ぼす被害は思うより大きいので、その反対の表情や行いをすることを堂々と使命にしてもいいのでは?
重い病気や障害のある方々も
私は人生の一時期、病気で寝たきりとか、重度の障害がある子どもたちとよくかかわっていました。
皆それぞれ個性があり、その一人一人から、本当にあらゆることを学ばせていただきました。
そう考えると、あの子たちの使命は、周りの人にいろんな「気づき」を与えることなのかもしれません。
ただ生きているだけで、知らないうちに誰かの役に立っていたり、誰かの「何かをして人の役に立ちたい」という気持ちを満たしてあげていられたりするものです。
使命はなくてもいい。決して焦らずに‥
「使命」みたいなものがあった方がイキイキ生きられる。それは心理学者のフランクルも言っている。
で、この記事で「何を使命にしてもいいから、使命を持てば?」って言われた。
けど「使命なんて、とても思えない!」
‥‥思えないものは仕方ないです。それがあなたの人生の流れで、それでOKです!
使命がないまま生き続けてもいいし、心のどこかで意識しておくのもいい。もしかしたら、いつか自分なりの使命を見つけ、イキイキ生きられる日が来るかもしれません!
よかったら、以下の記事もどうぞ。 (使命を見つけるヒントもまとめてます!)
何のために生きるのか。考えるもヨシ、わからん&なくてもヨシ! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
まとめ:心で思うだけなら自由自由!
使命の定義と、あらゆる具体例について、主にお伝えしてきました。
使命は、誰かに公表しなければいけないものではありません。
勝手に使命と思い、勝手にイキイキ生きていい (*^▽^*)
使命感を人にも押し付けたり、わざと見せつけたりするのは残念ですが、基本的には自由なのです☆
最後までお読みいただき、ありがとうございました。