毎度すみません、おそらく私は「HSP(繊細すぎる気質)」&「発達障害」のグレーゾーン。
当ブログで「グレーゾーンだからこその過去の日記」みたいなものも書いています(‘◇’)ゞ
今回は小学4年生~卒業まで続けた「不安不安不安たまに喜び」の少女ソフトについて。
HSPや発達障害の特徴・傾向については、今回あまり記しません。とにかく不安不安不安を記す「THE・駄記事」。かつ野球に興味なしの人は意味不明~が多いので、読みたい方だけお進みください(笑)
相手の攻撃が終わるか不安
小学3年生の終わり頃「来年度からソフトボールのチームができます。入りませんか?」のお知らせ。
「プロ野球選手みたいにバットやグローブが使える~♪」という思いだけで、両親に懇願! 運動音痴かつ変な動きが多い私なので両親は反対するも、思いが勝り入部できることに(*‘∀‘)
いざ始まると、キャッチボールやルールの理解もままならない人もいる中、大会に参加することになります”(-“”-)”
相手チーム、審判さん、大会を運営する方々など、皆々様にとんでもなく迷惑なのでは…と、私のムダな気遣い炸裂!(HSPゆえ?)
小4の時は主にショートを守っていましたが、
- ピッチャーはフォアボールばっかり
- ピッチャー交代して5球練習してから試合再開するもストライクが入らず
- せっかく相手がフライやゴロを打ってもエラー‥‥。
なかなか自分たちに攻撃がまわってこない~(*_*) 初めの頃は
- どうしよう、このまま相手の攻撃が終わらなかったら…
- ちゃんと一定の時間が来たら試合終了となるのだろうか
- 次から「もう来ないでくれ」と言われるかもしれない
などと不安や心配が尽きず。
結局スコア「24-0」でも「35-0」でも、試合が終わったことに毎回一安心。試合って本当に疲れるなぁ~(‘Д’)
エラーしないか不安
とにかくアウトをとりたい! だから自分がエラーしないかも不安で不安で。
エラーすると、毎回涙をこらえるのに必死でした。初めの頃は、みんなもエラーばっかりなのにね(*´з`)
チーム創設数ヶ月後から参加し始めた大会は、けっこう強いチームも多く、中には全国大会レベルのチームも‥。
一度、最初の打者がショートライナー、次の打者がショートフライ、次の打者がショートゴロで三者凡退で終わったことがあり、監督やコーチ、保護者は、まるで優勝したかのように喜んでいました。
しかし私はみんなに拍手で迎えてもらえる中、身震いしているのに、なんかイソギンチャクみたいに力が抜けた変な感じ(~_~) 顔も多分ボーッだったろうし‥。
ストライクが入るか不安
5年生になると、ピッチャーになりました。6年生2人はキャッチャーとレフトを守っていたので、一応エース。
ピッチャーになった理由は、みんなで投げてみたら一番ストライクが入る率が高かったからです、たぶん。
「うまくなりたい!」という思いもありましたが、ピッチャーという重要なポジションの「不安」「責任感」から、私は毎日毎日練習やトレーニングを重ねました。
外で塀に向かって投げたり、家ではシャドウピッチングや腕立て・スクワット・腹筋・柔軟・グーパー運動など。
しかし約2年の努力もむなしく、もともとの運動能力のなさ+当時はモヤシみたいなヒョロヒョロの体‥。なんか「中途半端なピッチャー」で終わりました( ;∀;)
メンタル弱すぎて、コントロールはいい方だったにもかかわらず「ストライクが入らなかったらどうしよう」と毎回不安の連続。
ストライクが入らないと、試合が進まず申し訳ない。多分みんなの「イライラ」「つまらない」を引き出してしまう‥。
午前中が雨で自宅待機していた時は、午後からの試合に備え、部屋で積み重ねた布団に向かってピッチング練習をしたことも‥。狭い部屋なのに、何の意味もないじゃん(笑)
あまりにストライクが入らずマウンドで泣いてしまった時は、見かねた監督が下級生ピッチャーに交代。
思えば、三振した時も涙が自動的に出てきてしまう‥‥。もう書いていても情けないっ(~_~)
途中で腹痛をおこさないか不安
思えば、腹痛と下痢ばかりの人生でした。
たいていグランドって、トイレが少ない。私が1つの個室を占領するので「超迷惑だろうなぁ」と気に病んでいました。
特に仮設みたいなトイレが2個しかないグランドの時は、コーチをしていた私の父親が同行。私が入っているトイレの方に誰かが並ぶと「ちょっとお腹が痛い子が入っているから長いかもしれない」との案内係‥‥父に感謝(*_*;
おそらく緊張からでしょう。試合前の腹痛&下痢は、ほんと多かったなぁ。
加えて「試合中とかピッチャーマウンドでお腹が痛くなったらどうしよう」って、いつも不安でした。結局一度もなかったけど。。
そういえば鼻血も出やすくて、鼻血も不安のタネ。鼻を抑えながらみんなの練習を見ていたこととか、まるで昨日のことのよう(←昨日とは大げさだろ(^-^;)
ポツンにならないか不安
これは学校でもそうだったのですが、小学5年生ぐらいから友達と遊ぶのが苦痛でした。
でもポツンになるのは寂しいので、必死に女子ワールドに合わせつつ…。友達は学校だけでごちそうさま、家にいたり一人で何かをしたりするのが大好きでした(‘ω’)
ソフトボールも、バッティング練習や守備・ピッチング練習などは好きなんです。でも休憩時間がしんどい。
毎年開催される、もちつき大会や川遊びも苦痛。「なんでこんなことやるんだろ」と思いつつも、両親も行くし行かざるを得ない!(本心は留守番希望)。
もちつき大会の記憶は、HSPの傾向からか「一人で寂しそうな下級生」に話しかけ、みんなの輪に入れるよう促したり。
でも一日中、なんてゆうか「どういう人間関係でいればいいのか」わからないんですね。「誰といればいいんだろう。今度は誰と?」って感じで。ちょっとボーっとするとポツンになりそうだし。
人目がある中ポツンになるのは、怖いし不安だったんです。もう~~。早く帰って一人になりたい!
川遊びの時は、最初のうちは足だけ浸かってみたものの、途中からシートに座って西村京太郎の小説を読んでました。とにかく早く帰りたい!
人目やコソコソ言われるのが気にはなったけど、この時ばかりは本当に誰といればいいのかわからないし面白くなさすぎるしで‥。たまに声かけてくれる人がいても「頭が痛い」で通してました(‘Д’)
それでもソフトに出会えてよかった!
今思えば、いろいろあったなぁ。試合中の敵も「相手チーム」でなく「自分の不安」( ;∀;)
やわなメンタルでなければ、ソフトボールを純粋にもっと楽しめただろうに、という気持ちもあります。
でも。
- 大好きな野球に似たスポーツができたし。
- 多くの人々との出会いがあったし。
- 家族との濃い~思い出もできたし。
- ヒットを打てた時の快感とか
- 試合に勝った時の喜びとか‥。
いろんな経験ができました。運動音痴だったのが、ドッジボールで男子と対等に遊べたり「体育好き!」とまで言えるようにも☆
なぜか現在は、そういう「いい思い出」ばかりが思い浮かぶのです。不安で仕方なかったことに対しては「ああ、自分がんばってたなぁ」って‥(*‘∀‘)
物事のよい面に目を向ける習慣をつけていくと「やっぱり過去に対する思いも変わるものなのだなぁ」と改めて感じました。
駄記事を最後までお読みいただき、感謝感謝です。ありがとうございました。<m(__)m>