自分より不幸な人を見て安心する。そんな自分を受け入れてラクに。

佳見 そら

表彰台に乗る女性選手のイラスト

自分より不幸な人を見て安心する。今思えば、私もそうだったかもなぁ。

あなたは、自分より不幸な人を見て安心する自分が嫌ですか?

もし少しでも嫌だなって思うなら、まるごと受け入れてしまうと心がラクになるかも。

ここでは、自分より不幸な人を見て安心する自分を「それでもいいんじゃない?」と受け入れやすくする考え方や根拠について、まとめていきます☆

自分より不幸な人を見て安心するのもいいんじゃない?

自分より不幸な人を見て安心する。そんな自分を、もっと軽い感じで受け入れてみてはどうでしょう?

「別にいいよね」「たいしたことない」って思えるとラクになる‥。そう思えるようになりやすい考え方をまとめていきます☆

そんな人は多いし

個人差はあれど、

  • 学校教育
  • 会社や上司からの教育
  • 親や周りの人からの言葉
  • メディアからの情報

などにより、人と比較する習慣がついている人は多いと思います。

人と比較をする時点で、程度の差はあれど

  1. 自分より不幸だと思う人を見る
  2. 「あっ自分の方がマシだ」って思う
  3. 安心感や意欲などにつながる

ということは、もはや仕方ない‥。ちなみに上記は、心理学で「下方比較」と言われています。

心理学用語と言えば「シャーデンフロイデ」もありますね。「他人の不幸を喜ぶ気持ち」を意味し、アメリカの精神科医・マガヴィ博士は「多くの人が不安や生い立ち、気質などのさまざまな要因でこの感情を抱く」と言っています。

これだけ変化の激しい世の中でも、ワイドショーや週刊誌は打ち切りにならないし。

医療系ドラマや刑事ドラマは視聴率がとりやすいと言われていますが、どちらにも「人の不幸」がほどよくちりばめられている‥‥。

それだけ「人の不幸が好きな人が多い」ってことなのではないでしょうか (‘_’)

自分より不幸な人を見て安心する。そんな自分を「ダメ」とか「最低」とかって否定するのでなく、「まっ仕方ないか」と思っていられる方が、ラクに生きられることにつながります。

意外に肯定されている?

自己啓発系やスピリチュアル系など、あらゆる本で「感謝の大切さ」が記されています。

この感謝の実践について、実によく言われるのが「当たり前のことにも感謝しましょう」ということ。(私もブログに書いていますが…)

この「当たり前のことにも感謝」の具体例として、たとえば

  • 「日本に生まれただけでも感謝」とか
  • 「雨風しのげる家に住めるだけで感謝」とか
  • 「仕事があるだけで感謝」とか

書かれています。これって、実は「自分より不幸な人を見て安心する」のと似ていますよね‥。

だって、この具体例で感謝しようとする時、紛れもなく思い浮かぶのが

  • 戦争がある国、治安が悪い国、途上国の映像
  • 途上国の方や路上で生活する方
  • リストラとか、なかなか仕事が決まらない方とか‥‥。

感謝の実践を始めた頃は「なんだか申し訳ないような気持ち」の方が大きかったことを覚えています (‘_’)

でも、自分より不幸な人を見て安心するのって「意外と肯定されているのかも」‥‥最近そう思うのです。

精神科医で心理学者のゆうきゆう先生は「落ち込んだ時、自信を失った時は、積極的に下方比較しましょう。『あの人よりはマシ』という人を3人見つけると、気持ちがラクになります」とも仰っているほど。

ゆうきゆう先生ほど「ズバリ」ではなくても、本を読めば読むほど「似たようなことが遠回しに書かれている」ページに出会います。

私の経験上、一番ラクで幸せなのは「人との比較自体をやめること」

でも「今日から人と比較しません」と言ってできるものでもないでしょう。だったら…。

深刻にとらえず、安心するぐらいよいのではないでしょうか。

自分より不幸な人を「あからさまに見下す」わけでもないし、罪悪感や自責の念を抱くわけでもない。

ちょこっと「安心」するだけです。 その他にも、

  • 何かに対して「感謝」の気持ちを抱けたり、
  • 自分の「希望」や「意欲」につなげられたり
  • ネガティブ感情をやわらげられたり

するのであれば「自分にとっても周りの人にとっても自分が属する組織にとってもプラスになる」と言えると思います。

思うだけなら自由だし、たとえ態度に出てしまっても…

大学の法律学の授業で唯一覚えているのが、

「法律違反の行為も、頭の中で考えるだけなら法律違反にならない」ということ。

当たり前と言えば当たり前なのですが、要は「頭でどう考えようと心でどう感じようと自由」なわけです。

あからさまに「人の不幸が好き~」「自分より不幸な人を見ると安心する~」と言うわけでもないでしょう。思うだけなら、自分の自由なのですね。

まあ、よほどの演技派でない限り、考えていることや思っていることって、表情・態度に出てしまいますけどね (^-^;

けれども、

  • くいつくように人の不幸話に耳を傾けようと
  • つい「あの人がミスをして安心しちゃった」と言おうと、
  • 無意識のうちに人の不幸話に笑顔になっていようと‥‥

「類は友を呼ぶ」の通り、同じような人が自然と集まってきて仲良くなりやすいというだけ。中には安心してくれる人もいるかもしれず、「たいしたことがない」とも言えると思います。

また、自分より不幸な人を見て安心しながらも、必要な時は手を差し伸べたり、人に対して思いやりのある行動をとったりもしている。‥‥それで十分だという気もします (^-^)

それでも嫌なら、自分を変える

ここまで読んできて、やっぱり「自分より不幸な人を見て安心するなんて嫌だ」と思った人もいるかもしれません。

そう思うのなら、心を変えるための何らかの実践をしてみませんか?

幸せは心が決めるもの。そもそも自分が相手のことを「不幸」と思っているだけで、相手は何も感じていないかも…。いや相手は「自分にあるもの」に目を向け、幸せに感じている可能性すらあります (^-^)

でも、心を変えるなんてできるの?‥‥時間はかかるけど、できます!

  • 前向きな考え方を選ぶ練習を続けたり
  • 一日一善を根気よく続けたり
  • 心にいいと言われることを実践し続けたり‥‥

私はそんな方法で「気づいたら心が変わっていった」という経験をしており、その経緯をブログに綴っています (*‘∀‘)

「自分より不幸な人を見て安心する」のをやめたい場合は、前述の通り「人と比較しないこと」を選んで採用することがオススメ。

ご興味のある方は、以下の記事を読んでみてくださいね☆

☆ 人と競争しない生き方について知り、私なりに実践したらラクに! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)

☆「自分より下を見て安心する」のを,少しずつやめる3つの方法。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)

まとめ:自分がラクで幸せになる選択を!

自分より不幸な人を見て安心する自分を「それでもいいんじゃない?」と受け入れやすくする考え方や根拠について、まとめてきました。

心をラクにして生きるためには、何事も深刻にとらえず「まあいいか」とか「たいしたことない」という考え方を適宜取り入れることです。心から思えなくても、つぶやいてみるだけでそう思いやすくなりますよ☆

「自分より不幸な人を見て安心するのもOK!」と受け入れるのも自由だし、「やっぱり嫌だ」と何らかの実践をするのも自由。

ぜひ、自分の心がラクで幸せに近づく方を選択し、採用してみてはいかがでしょうか?

最後まで目を通していただき、ありがとうございました。


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