心のラクを追求し、ブログを書いている主婦です。
今回は「執着」について。 執着は苦しみのもとと言われます。心がラクではない (*_*)
でも執着って何だろう。よくわからないなぁ。
自分の中から、完全に失くした方がいいのかな?
ここでは、「執着」の意味や例、なぜ心がラクでないのか、最近の生活から感じた「少しぐらい執着心があっても (あった方が) よいのではないか」と思ったことなどをお伝えします☆
「執着」とは何か
箇条書きメインで、まとめます!
「執着」の意味
「執着」という言葉の意味は
- ある物事や人物に、強く心がひかれること
- 特定の物や行為に強くこだわり、手放せないこと
- 何か (誰か) に心がとらわれ、離れられないこと etc.
一見、執着するモノがあった方が、人生が楽しくなる気もするなぁ‥ (;^ω^)
なぜ執着すると心がラクでないのか
でも一般的に、執着は「思いがエスカレートしすぎて、苦しみが生まれる」という感じの意味。
この「苦しみ」は、大きく分けて3タイプ。
- 執着の対象にしか意識が向かず、他の可能性や選択肢は受け付けられない
- 執着の対象が思い通りにならないと、不安・焦り・怒りなどが生まれる
- 自分の意思と反し、執着の対象が頭から離れない ( or 事あるごとに思い出す)
たとえば、以下のような感じ。
- これがないと不幸だ
- これを手放したら生きていけない
- 今はこうでないから自分はダメだ
- 相手にこうなってもらわなければ困る
- (特定のことが頭から離れず) 他のことが考えられない、集中できない etc.
すなわち特定の人や物事に執着をすると「欲求不満」「ストレス」「不安」「恐怖」「焦り」「イライラ」「落胆」「嫉妬」「自己否定」「絶望」「無気力」などのネガティブ感情が生まれやすくなるのです (‘_’)
執着と苦しみの例
執着の対象別、苦しみの例。
- 仕事:この仕事を失ったら自分には価値がない・仕事のことが頭から離れずストレス etc.
- 恋愛:ずっと初恋の相手を忘れられない・復縁が叶わず絶望 etc.
- 子育て:子どもにこうなってもらわないと困る・子どもが巣立ったら無気力 etc.
- 孫とのかかわり:いずれ孫が来なくなることを考えると怖くて仕方ない etc.
- 嫌な親:常に頭の片隅にいてネガティブ感情のもとになる・事あるごとに怒りがこみあげる etc.
- 趣味や活動:思い通りに展開せずイライラ・これがなくなったらどうしようと心配 etc.
- 友人関係:こうしてくれなきゃ友達と呼べない・親友が他の人と仲良くしていると嫉妬 etc.
- お気に入りの物や使いやすい物:これがないと不安で仕方ない・他の物は受け付けない etc.
- 特定の地位:今の地位を失うかもしれないと焦る・あの地位に就けない自分はダメだ etc.
- 過去の栄光:常にあの時の自分と比較・今の自分の状態に落ち込む一方 etc.
- 過去の嫌なこと:常に頭から離れず他のことに集中できない・挑戦の妨げになる etc.
もちろん、すべては「程度」によります。 少しぐらいの執着なら、多くの人に経験があるのかも。多大な執着だと、その分苦しみは大きいし、かつ苦しみを感じる場面も増えることでしょう (‘_’)
最近の生活で、執着について感じたこと
執着は完全な悪者なの? 少しぐらいあってもいいのかも?
と思ったことを気ままに書くだけなので、読みたい方だけどうぞ (;’∀’)
ピアノの先生
「使命」や「魂の望み」と呼ばれるもの。
= 自分が心からやりたいことで、かつ人様のお役にも立てること。
これを自分なりに見つけられた人は、幸せだと思います (*^-^*)
私が出会った二人のピアノの先生も、まさにピアノを教えることが使命なのだと感じるけど‥
一人の先生は、まさに「発表会への執着」を感じる。
- どんなに生徒数が減っても、大きな会場でやりたい
- 生徒に難しい曲を弾かせたい
- 女子や女性の生徒にはドレスで出てほしい etc.
ご指導も熱心です。(でも厳しすぎて、たぶん生徒は楽しくない)
もう一人の先生はご高齢。 私好みの先生だけど「音楽を教えることに執着心 (失うことを恐れ、しがみつく) がある」と最近感じます。 (そういう波動・エネルギーをたまに感じることがある)
「使命」と「執着」。
理想は「使命感を持って熱心に取り組むけど、執着はしない」なのかもしれないけど。
でも執着って、完全な悪者なのかなぁ?
使命感の中に、少しぐらい執着心もあった方が
- 周りの人が情熱を感じやすい
- 本人の意欲につながりやすい
- 継続できる可能性が高まる (結果的に本人も相手も嬉しい)
という側面も、あるのではないかなぁ?
我が子の部活動
第二子が中学校でバレーボール部に入りました。
保護者の方々は
- 練習試合を必ず観に行ったり
- 動画を撮って親子で研究したり
- 自分が教えたり、専門の人に教わりに行ったり
など、熱心な方が多いです。 かつ楽しそう (*’▽’)
「何が何でも強く!」「良い成績を残したい!」というよりも、我が子への愛情という波動を感じます。中には、使命感みたいなものを持ってやっている人もいる (使命はいくつもあっていいし、小さくてもいいと思っています)。
でもモワモワ~っと、プチ執着のにおいもする。 我が子の引退後は
- 寂しくて仕方ない
- 次の楽しみを見つけるまでプチ無気力
- 過去の思い出に浸りまくる、みたいなことになりそう。
でも、それって必ずしも悪いことかな?
それも含めて、この人生での貴重な体験なのではないかなぁ?
しかも、少しぐらい執着心があった方が、子どもも「自分への愛情」を感じやすいのかも。 反対に、何も感じずスパッと切り替えたら、子どもが寂しさを感じるケースもあるのかもしれないなぁ‥。
叶えたい小さな夢も
小さくてもいい。
夢があると、イキイキ楽しく生きられる側面もありますね (^o^)
でも、そこに執着してしまうと苦しみの元となる。
夢に執着しないためには
- 叶うか叶わないかは大きな存在 (天・神様などと呼ばれる) にまかせる
- 夢が叶っただけで、ずっと幸せでいられるとは限らない
- 夢が叶ったら嬉しいけど、叶わなくても「別の道」はある
という考え方でいるといいのかも。
でも、執着ゼロって難しくない?
しかも、多少の執着心があった方が
- やる気と「夢を叶えるための行動」につながりやすい
- 熱意のエネルギーが出やすく、周りからの応援が入りやすい
- コツコツ努力できる (努力を継続しやすい)
と言えるのかもなぁ。
まとめ:ほどほどな執着心ならよいのでは?
「執着」の意味や例、なぜ心がラクでないのか、でも少しは執着心があってもよいのでは? ということなどをお伝えしてきました。
「執着」という言葉は、どうしても悪いイメージ。
なんだか執着さんが、かわいそう (´・ω・)
執着さん、自分の中にあってもいいし、むしろ少しぐらいはあった方がいいのかもしれない。
記事内に書いてきた通り、その方が「よい面」もあると思うから。
そう思えると、執着心がある自分も受け入れられて、心がラクになる (*´▽`*)
でも、やっぱり中庸。ほどほどがいい。
繰り返しますが、大きすぎる執着心は大きな苦しみのもとになるし、場合によっては人に迷惑をかけることも‥‥
いきなり腑に落とすのは難しくても、いい意味でいろんなことに「どうでもいい」と思えると、少し執着心が和らぐかもしれません。
ご興味のある方は、以下の記事もどうぞ (*^-^*)
★心がラク! ポジティブな「どうでもいい」の具体例と実感するヒント | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
最後までお読みいただき、ありがとうございました。