「嘘つきは泥棒の始まり」と言うし、仏教やキリスト教の戒律でも「嘘をついてはいけない」とある。
かと思えば「嘘も方便」「嘘は世の宝」 (いずれも「時と場合によっては嘘も必要」という意味) とも言われる。
てか「嘘も方便」って仏教が由来だし、聖書の中にも嘘の言葉がOKな例も出てたりする。
う~ん‥‥ (‘Д’)
あなたは嘘について、どう考えますか? ここでは「嘘についてのいろいろな考え方」と「嘘を受け入れられるとラクになるかも」というお話をしていきます☆
嘘についての考え方に正解はないけど…
嘘をついてもいいのか、いけないのか。ついていい嘘があるのか、一切ないのか。
といっても嘘には種類や程度もあるし、議論したりまとめたりすると超長くなりそう (*ノωノ)
「嘘は絶対によくない」派の意見
本やサイトを見ていると、嘘はダメ派の理由として
- 嘘をつくと、他人を信用できなくなるから
- 嘘をつくと、脳・心・体が疲れるから
- 嘘をつくのは、自分を裏切ることにつながるから
- (どんなケースであれ) 自分が嘘をつかれるのが嫌だから
- 嘘は物事を複雑にさせ、問題解決への時間を長引かせるから
などがあり、どれもわかる気がしますね。(八方美人、万歳!)
私が強く共感するのは「嘘をつくと脳が忙しい~疲れる~」ってこと。
- 「いつ誰にどんな嘘をついたか」を覚えてなきゃだし
- 嘘がバレないような言葉や振る舞いを考えなきゃだし
- 「バレたらどうしよう」という心配や、嘘をついたことへの罪悪感・後悔に苦しむこともある。
脳と心は密接しているので心が疲れるし、心と体もリンクしているので体の疲れも招きます。もちろん個人差があり、真面目、几帳面、気にしい、心配性、良心的な人などは特に疲れやすいと言えるでしょう (>_<)
「条件つきで嘘もOK」派の意見
「場合によっては嘘をついてもいいんじゃない?」という意見も多いですよね。
ついていい嘘の例として、
- 人間関係を円滑にする嘘 (社交辞令、お世辞、場の空気をよくしたい時など)
- 他人を守る嘘 (ショックを受けるであろう事実を相手に知らせない、勧誘や人からの誘いを断る時など)
- 他人を向上させる嘘 (褒めたり期待したりしてやる気を起こさせるなど)
反対に、ついてはいけない (よくない) 嘘の例として
- 自分をよく見せる嘘 (経歴詐称、盗作、見栄など)
- 自分の利益のためだけの嘘 (罪を逃れる、正当化など)
- 周りに多大な迷惑・心配をかける嘘 (デマ、イタズラなど)
- 他人を傷つける、陥れる、騙す嘘 (いじめや嫌がらせの心から、詐欺など)
すなわち「ついてはいけない嘘があるのは確かだけど、それ以外の嘘、特に他人が喜ぶ嘘や他人を守る嘘、社会・人間関係をよくする嘘などはついてもOKなんじゃない?」って感じでしょうか。
ただ、多くのことは「一概に言えない」
たとえば、嘘をつくことで「あの人たちには迷惑がかかるけど、この人は助かる」というケースもあるでしょう。
「自分の利益のためだけについた嘘が、結果的に周りの人のためになった」というケースも、あるかもしれません。
★嘘の一つである「お世辞」については、
- お世辞とわかっていても嬉しい人もいるし
- お世辞は大嫌いという人もいるし
- 「お世辞の言い方にもよる」と思う人もいる。
★がんの余命告知にしても、
- 「自分の余命なのだから正直に言ってほしい」人もいるし
- 「知らないままの方がいい」人もいるし
- 「知りたい」と思っていたのに、知ったとたん生きる気力がなくなる人もいる。
家族が「本人に嘘をついた方がいいのか否か迷うケース」の一例とも言えるでしょう。
★あっ、お金持ちの夫を「愛しているふり」の女性についても。「ひどい」と思いがちですが
- 旦那さん自身は「愛されている」と思っているから幸せ
- 奥さんも「お金があるから」幸せ
- 夫婦二人とも幸せで、誰にも迷惑をかけてないのなら‥‥
外野がとやかく言うことではないのかもしれません (‘_’)
嘘についての考え方は、十人十色でいい
嘘はいいのか悪いのか。議論しても明確な答えは出ないんじゃない?
だったら‥‥
「どんな状況であれ、自分は嘘をつかない」もヨシ、「お世辞とか人を傷つけないための嘘ならOK」もヨシ。
自分の考えもヨシ、他人の考えもヨシ。人それぞれでヨシ。
と思えれば、何より自分が一番ラク (*´▽`*)
嘘についての考え方に限らず「自分軸」を持って生きていると、似たような人が周りに集まってきて、嬉しい & 生きやすくなるとも言える。(「類は友を呼ぶ」の通り)
ただ「自分をよく見せる嘘」「自分を守るためだけの嘘」「他人を傷つける嘘」ばかりついている人は、人間関係にも恵まれないし、因果の法則でいずれドカンと返ることでしょう。
「嘘」を受け入れられるとラクになる
今までに全く嘘をついたことのない人、おそらくいないと思います。
また、マサチューセッツ大学の教授ロバート・フェルドマンは「人間は10分間の会話の中で2~3個の嘘をついている」ことを明らかにしています。「人間が基本的に嘘つきであること」を示す研究は、他にも複数あるし。
そう、仮に自分が嘘をつかなくても、小さな嘘は世の中にあふれている。
これを「嫌なこと」ととらえず、
- まあ、社交辞令やお世辞を言う人もいるさ
- 基本的に人間は弱いから、保身のための嘘をつくこともあるだろう
- いま見栄を張ったな。ありのままの自分に自信がないのだな‥‥
などと、他人の嘘を許して受け入れちゃう。 自分も嘘をついたこと、あるわけだし (._.)
もちろん「ひどすぎる嘘、たちの悪い嘘を、許して受け入れよう」と言っているのではありません。
ただ、いちいち「あれは嘘かも」「嫌だな」という思考ではなく、「人は嘘をつくもの (嘘をつく人が多いもの) なんだ」と受け入れジャッジしない感覚でいると、心がラクな気がします☆
まとめ:嘘と付き合う感覚で
「嘘についてのいろいろな考え方」と「嘘を受け入れられるとラクになるかも」というお話をしてきました。
嘘にも種類や程度があり、とても許せない嘘もあるでしょう。
でも、自分がつく嘘も他人がつく嘘も。「ちょっとした嘘は、あるものなんだ」と受け入れ、嘘と「付き合う」「共存する」感覚でいられれば、心穏やかでいられるのかもしれません (^-^)
嘘と上手に付き合う方法、考えてみませんか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。