現在ただの主婦。私の「夢」に対しての考え。
- あってもなくてもいい
- 大きくても、超小さくてもいい
- 夢の定義は、人それぞれでいい
このブログを開設することも、ある意味「夢」で、今は地道に継続中。
最近また「これは夢と言えるかも」と思うことが出てきました。
でもその夢に執着せず、長い期間をかけ、叶う道筋を見ていく (*^-^*)
ここでは、「夢に執着すること」の意味、夢を持つのはいいけど執着すると苦しくなること、夢に執着しない方法などをまとめ、最後に私の現在の夢について気ままに書きます。
「夢に執着する」とは
ここで言う「夢」の意味は「将来実現させたいと思っている事柄」のこと。
「執着」の意味は
- (辞書的には) 一つのことに心をとらわれ、そこから離れられないこと
- 何かに強いこだわりを持ち、生活や思考に悪影響を及ぼすこと
- 何かに気持ちがとらわれすぎて、生活や思考に悪影響を及ぼすこと
それらも踏まえ「夢に執着する」とは
- 将来実現させたい事柄に「拘束」「束縛」されている状態
- 「夢が叶わなければダメ」「なんとしても夢を叶えなければ」など、思考が窮屈な状態
- (夢を持って生きていても)「ワクワク」より「苦しい」が勝っている状態
などのことを示すと、私は考えます。
夢を持つのはいいけど、執着すると苦しくなる
ぶっちゃけ、夢はあってもなくても一長一短。
夢はなくてもいいけど、あればあったで
- 叶えるための計画を立て、主体的に生きられたり
- 迷いなく、メリハリのある生活ができたり
- ポジティブな気分になれる (こともあったり)
などのメリットがあります! (もちろん人や状況による)
ただ、夢に「執着」すると、
- 現状への不満・自責・自己否定・不安・恐れ・罪悪感
- 他人への嫉妬・攻撃心・他人と比較しての敗北感・焦り
- 夢が叶わなかった時の絶望・無気力
など、要は「ネガティブ思考・感情」が起こりやすく、苦しみのもととなります (*_*)
夢に執着しない方法
まず「よく考えれば当たり前のこと」を挙げる:パート1。
- 夢を叶えるためには、行動が必要
- 大きな夢の場合、それ相応の行動 (努力・継続など) が必要
- 誰もが夢を叶えられるわけではない (夢の定義や内容にもよるが)
- 夢が叶うかは、行動以外の要素 (時代の流れ・タイミング・周りの人の働きかけなど) も関係する
- そういう意味では「夢が叶うかは、運とか神のみぞ知る」とも言えるのかもしれない
「よく考えれば当たり前のこと」を挙げる:パート2。
- 夢を叶えた後も、努力や地味な継続が必要 (なことも多い)
- 夢を叶えても、その喜びは一瞬で終わることもある (すべては人や状況による)
- 夢を叶えても叶えなくても、考え方しだいで「いい気分」「幸せ」でいられる
これらを踏まえると「夢に執着しない方法」は
- 夢を叶えるための行動をするけど、叶うか叶わないかは大きな存在 (天・神様などと呼ばれる) にまかせる
- 今抱いている夢が叶ったら嬉しいけど、叶わなくても「別の道」は山ほどある
- 今この瞬間「いい気分」かどうかは、すべて自分の心 (考え方) しだい
という姿勢 (考え方) でいること、なのかもしれません。
「夢が叶えられたら、ずっと幸せ」なんて保証はどこにもない。
- プロ野球選手になれても、いろんな苦労や試練が待っているでしょう
- 結婚できても、結婚生活を継続させるには努力が必要です (人にもよるけど)
- 一つの欲が満たされても、また次の欲が出てきて心が満たされないかも‥‥
それでも「プロ野球選手になりたいのか」「結婚したいのか」「何かが欲しいのか」ということです。
結局、人の最終的な夢は「いつでも気分よく、幸せに過ごすことなのかも」と思います。
だとすると、よくブログに書く
- 人や物事の良い面に目を向ける
- ポジティブなことや楽しいことを考える
- 自分のことを褒める、認める、受け入れる
- 物事や周りの方々に感謝する
- 可能な限り「心地いいこと」をする時間を増やす
などを心がければ、どんな状況であれ、今この瞬間「いい気分」「幸せ」でいられます。
これは夢を叶えるための行動をしている瞬間にも言えます。
- なるべく楽しめる工夫をする
- 「夢がある、ありがたい」と考える
- ネガティブ思考が浮かんでも自分を受け入れ、行動している自分を褒める
- 「しんどいけど、生きているからこその貴重な体験だ」と思う
- 「今こうして頑張れる。その環境や状況に感謝だ」と思う etc.
「感謝」「物事の良い面にフォーカスする」「自分を受け入れたり褒めたりする」などを、ただコツコツ続けていく。しだいに、少しずつですが「夢に執着しない」が腑に落とせる期待もできます。
私の現在の夢について、気ままに書く
読みたい方だけ、どうぞ (;’∀’)
私なりの夢の定義
夢の定義は人それぞれでいい。
- 「今の自分では実現が難しいことを夢と呼ぶ」と思うのも
- 「長い期間をかけて叶えることを夢と呼ぶ」と思うのも
- 「すぐ実現可能なことを夢と呼んでもいい」と思うのも
すべては自由なはず。
ということを書いたのが、以下の記事です。
★夢とは何か。いちいち「夢を叶えた!」と思うと楽しい~。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
いろいろ踏まえた上での、私なりの「夢の定義」は「叶えるためには、ある程度の努力や頑張りが必要なもの」という感じ。 夢の内容は「自分がワクワクし、続けるうちに人のためにもなること」がいいなぁと思っています (*’▽’)
現在の私の夢
ズバリ、
- プランターでの家庭菜園とか
- 自宅敷地内の狭い庭とか
- ごみごみした市民農園とか
ではなく、だだっ広い畑の一角を借りて、家庭菜園をやること!
- もう 50年近く、いろんなことを体験しすぎたのかもしれない‥
- 望む体験もあれば、望まない体験もあった‥
- いろんなものを欲しいと思い、手に入れたものもあれば、入らなかったものもある‥
残りの人生、新たにやりたいことは、今のところ家庭菜園だけ。
お日様を存分に浴び、お野菜と会話し、周りの人や状況に気を使うこともほぼない状態で、作業をする。 もし叶えられて続けられたら、ゆくゆくは無農薬の野菜にも挑戦してみたいなど、夢は広がります (*´▽`*)
なかなか前に進まないけど‥
2022年頃から、BS朝日で放送中の「農業始めちゃいました」という番組にハマっています。
「自分でもやってみたい」と、プランターで少しだけ挑戦。
- 青じそやパセリを存分にいただき、豊かさを感じたり
- 小茄子のぬかづけを涙の出る思いでいただいたり
- とれたての水菜のシャキシャキ感に感動したり
という体験ができているものの、やはり物足りない (自宅の向き的に家庭菜園に向かないし)。
半年前ぐらい、ジョギング中に突然「農業と執筆」という言葉が降りてきて、事あるごとに思い浮かぶ。 1週間後、我が子の宿題を機に宮沢賢治さんの生涯について知り、シンクロ~☆
今年に入ってから、ムクムク「大きな畑でやりたい」と思い、いろいろ調べ始め、夢が膨らんできていたのに‥
その途端、なぜか他のことで忙しくなり、いまだにバタバタ (;’∀’)
もちろん、時間はつくろうと思えばつくれるけど、
- 家事は自分なりに手を抜きたくない
- 丁寧な子育てや子どもへの教育をしたい
- ブログも4~5日に1回ぐらいは更新したい
という気持ちが勝り、家庭菜園が後回しに‥‥
また、心から湧き上がるワクワクを打ち消すように、
- 全くの未経験、かつ不器用な自分ができるのか
- 強風が苦手、かつ物を増やしたくない自分にできるのか
- 自分の体力や筋力でできるのか
という不安や疑いみたいなものも出てくる。 (顕在意識の抵抗か?)
でもやっぱり、くわで耕す自分や、とれたて野菜をガリガリいただく自分が思い浮かぶ (^o^)
今はまだ、本格的に始める時ではないのだ、きっと。
流れに沿い、新年度に入って落ち着いたら、まずは家庭菜園の知識をつけたり、畑の情報を得たりしていこう。もちろん、家事育児やブログ執筆、野球を見る、ピアノを弾くなど「その時にやりたいこと」もやりながら。
まとめ:夢が叶う過程は、私だけが知る道
「夢に執着すること」の意味、夢に執着すると苦しくなること、夢に執着しない方法などについてお伝えしてきました。
私の人生は「私」だけが知る道です (個の私と、大元の私と)。
飽くまでも私は、決して夢に執着せず、ゆったりと楽しみながら、愛と思いやりを持って、その道と共に生きてゆく。
「ああ、いつか叶っているのだろう」という、心の奥の確信と共に。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。