自己診断ではありますが、私は「HSP(繊細すぎる気質)」&「発達障害」のグレーゾーン。
幼少期から40歳まで、生きづらさを抱えつつ‥‥。まあ、楽しい思い出もいっぱいあるけれど(‘◇’)ゞ
もっとラクに生きたいなぁと、あらゆる本を読み、いろいろ試し、「不安」も「気にしすぎ」も「超ネガティブ」も改善! その方法や経緯をブログにまとめています☆
ちょっと変だったり、敏感な部分と鈍感な部分の差が激しかったり。そんな自分は、まるごと受け入れちゃってます( ;∀;)
過去や現在の「私のココ、HSPっぽい&発達障害の傾向っぽい」という部分もブログに書いておりまして‥。ほぼ自己満記事になってますが(笑)
今回は「小学校の担任の先生との思い出」を綴ります。今思えば、変な先生もいたなぁ(^-^;
すぐ「立っていなさい」と言う先生
小学校1~2年生の時の先生は、ムーミンのリトルミイみたいな「タマネギ型のお団子頭」。年齢は50歳ぐらい。
このタマネギ先生、すべてに関して「きちっ」としていて、それはそれは厳しい先生でした(*´з`)
ヒステリックに怒ることも叩くこともないんだけど、ちょっとNGなことをすれば、その場で立たされます。
- 「トシヒデさん、教科書を忘れたので立っていなさい」
- 「アユミさん、お返事が聞こえませんでしたので立っていなさい」
- 「今校庭から帰ってきた人は、全員立っていなさい」
あっ、ちなみにタマネギ先生、男子も女子も名字でなく、下の名前に「さん」をつけて呼んでいました。
私は2年間で一度も立たされませんでした。というのも「立たされたらこの世の終わり」って感じで怖くて怖くて、超徹底的に対策していたからです(‘ω’) HSP、緊張やミスが怖い。
小学5年生頃になると、冷静に「あの時はなんで立たされるのが嫌だったんだろ」って思いましたが、とにかく当時は怖くて「いつ頃、誰がどんな理由で立たされたか」が、自然と頭に入っていたほど。
全部ノートに記録しろと言われれば、当時ならできましたね、8歳ですが(笑) これは発達障害の傾向か?
絶対に! 自分は! 立たされないよう! 神経を張り詰めて行動っ(‘ω’) 他の子が立たされているのを見るだけでも辛かったけど‥‥またHSPの感情移入?
にしても「マサトさん、もう座っていいですよ」と言われたマサトくんがベロを出したら「マサトさん、舌を出したのでもう一度立っていなさい」と言われた時は、思わずプッと笑ってしまった‥「え~~そこまで~(笑)?」って。
苦い思い出も一つ。ユウトくんに「キンケシ(キン肉マンケシゴムの略)の交換をしよう」と言われ、学校に恐る恐る持って行き「ユウトさんとソラさん、学校に持ってきてはいけない物を持ってきたので立ってなさい」と言われた時。
なんと私、「私は持ってきてません」とウソをつき、立たされることから逃れました。うわっ、なんて嫌な奴。。ユウトくんは黙って立ってました、どう思ってたんだろう(-_-) 先生も、わかってた気がする。
私は本当~に内気で心配性で小心者で、そのストレスは「学校の給食のみ少食」というカタチで現れました。ひどい時は、小さなウィンナーを一つ食べただけで満腹に‥。
パンは袋も開けずに毎回持ち帰る(当時はOKでした)。時間内に食べ終わらないと、掃除の時間までずっと給食を目の前にして座っていなければならなく、それも恐怖で恐怖で。
毎回「オェー」となりそうなのを必死にこらえて食べてました。一度不登校にもなったけど、給食が原因で不登校になる人って、私以外いるのかな‥‥
おいおい、また暗~い過去バナになってるぞ(;’∀’)
でも今思えば、メンドクサイ掃除をしないで座ってりゃいいんだから、その方がラクだったなぁ。完食できずに怒られても、聞いてりゃいいだけだし(笑)
好き嫌いがわかりやすい先生
小学校3年生の時は、1学期だけ産休代替の先生でした。若くて可愛らしい女の先生、タンポポのような(^_^)
タンポポ先生は、その容姿に似合わず、体育大好き。休み時間も、必ずドッジボールや一輪車を一緒に楽しんでくれました。
多くの子がタンポポ先生のことを好きでした。私も大好きだったけど、嫌われないように必死でした。
というのも、タンポポ先生は明らかに「ハキハキしている子」「体育が得意な子」が好きだったからです‥(小3の頃の私、体育苦手)。
そういう子のことが「好き」なだけならまだしも、声が小さいとかウジウジしがちな子とかには、けっこうきつく注意してました‥(活発な子と同じことをしていても)。
ああ、タンポポ先生は、おとなしい子が嫌いなんだなぁって。HSPの気質。相手の感情を読み取りやすい!
ちなみにタンポポ先生の「嫌いなもの」は他にもありました。給食のチーズのカリカリ揚げとか、飛ぶ虫(特にチョウチョと蛾)とか。
タンポポ先生との出会いが「子どもに対する好き嫌いがある先生もいるんだ」って、私の人間関係トリセツの中にインプットさせてくれました。
そう、いつも「自分流トリセツづくり」を自然とやっていたのです! 面白そうだから次回の記事で書こうかな(^-^;
1学期の終業式の日が、タンポポ先生とのお別れの日。多くの子が、先生へのプレゼントを用意していました。
私は友達と一緒にマスコット人形をつくったのですが、なんか変な出来‥。「これじゃあ先生も喜ばないよぅ」と思い、おこづかいで買ったスヌーピーのファイルと一緒にあげました(先生はスヌーピー好き)。
最初は喜んでいた先生も、次第に顔が曇ります。「あれ、どうして喜んでないのだろう」と思っていると、私を含め「買った物をプレゼントした子」に「これは買った物なのかな?」と聞きました。
首を縦に振ると、先生はすごく困った顔をします。「イケナイことをしてしまったのだろうか」とすごく不安に駆られました。(この時はわからなかったけど、後から先生の気持ちを理解できたものです。)
ちなみに2学期から来た先生は‥。いつも疲れている感じ。なんと初日から多くの子が好きだった「ドリフ」を批判。1学期と同じ教室のはずなのに、一気に別空間になったようでした。HSP、環境の変化に敏感。。
タンポポ先生は「たんぽぽ」という歌が大好きで、1学期の朝の会では必ず皆で歌いました。それは今でもすべて歌えるほど、私の中に強くインプットされています、大好きなタンポポ先生との思い出と共に‥。
びっくりするほど思い出のない先生
4年生の時の先生は、まさに「ニヒルな男」。ニヒルって今あんまり使わないか?「 冷たく醒めていて、暗い影のある感じ」のような意味。
容姿も、やせ型で背が高く、サングラスに近いメガネをかけてる! タバコとか昔の喫茶店とかが似合いそう(*’▽’)
「これが好き」とか「こういう思いがある」とか主張もせず、ただ淡々と‥。授業など最低限やることだけやる。そんな先生でした。
休み時間などに話しかければ、それなりの笑顔で答えてくれた記憶はありますが、会話がそこで終わってしまう(^-^;
今振り返っても、4年生の時って「先生との思い出」がほぼありません。びっくりするほど。
これもHSPと結びつけるなら、「他人の気分などに左右されやすい」。ニヒル先生の淡々なエネルギーが、自分にも入り込んだというか‥‥。「これをしたら怒られる、嫌われる」とかの恐怖もなかったし。
先生でのストレスがなかった分、「男の子にからかわれて嫌だ」とか、少しずつ「女子特有の人間関係」とかでストレスを感じていた1年間でした。
執拗にからかってくる男子に困っていた友達と私。ある日の朝、友達が「あのこと、今日お母さんに連絡帳に書いてもらったんだ」と報告してくれました。
ドキドキしながら過ごしていると、男子がからかってきた時にすかさずニヒル先生が注意に来ました。ほっとすると共に「ああ、これは先生の最低限の仕事なんだ!」と思ったのを覚えています(;’∀’)
ちなみに小学校5~6年生の時の先生は、大人になってからも同窓会や私の仕事の関係で再会するなど、思い出いっぱい。機会があれば今後の記事で‥‥って別に誰も読みたくないか(笑)
どの先生にも感謝です!
今までの担任の先生。中学高校も含めて、変な先生もいたけれど「指導力不足のハズレ教員」とか「新聞に載るような(バレてなかったりスレスレだったりも含む)悪事をする教員」とかに当たったことはありませんでした。
どの担任の先生にも、あらためて、とても感謝しています(^-^)
どんな人も、自分を成長させてくれたり「気づき」を与えてくれたりするものですね。どの先生にも、それぞれの「よいところ」があったなぁとも‥。
自己満記事を最後までお読みいただき、深く感謝いたしますm(__)m。