過去を振り返ると。
ああ、なんでもすぐに「原因」を考えてたなぁ。
- ささいなミスやトラブルも含め、その原因
- 「他人の気を害したかも」と思えば、その原因
- 何かが上手くいった時も、その原因‥‥。
もちろん役に立ったこともあったけど、考えすぎると疲れる (/ω\)
ここでは、以前の私と同じように「すぐに原因を考えすぎて疲れる人」が、ちょっとラクになる (かもしれない) お話を書いていこうと思います☆
原因を考えるのもいい
原因を考えることでのメリットも、たくさんあったなぁ。
- ミスやトラブルの原因・対策を考え、次に生かせた
- 低迷や伸び悩みの原因を考え、新しいことを取り入れて成功につながった
- 今まで思いつかなかった可能性や選択肢を発見し、次に生かせた etc.
どんなことにも、メリットとデメリットの両方がある。
自分の「嫌だな」って思う性格や気質には、必ず「役立ってる部分」や「得している側面」もあります! それを見つけて目を向けてあげるだけで、少し心がラクになるかも (*‘∀‘)
「原因」に限らず「いろいろ考えすぎてしまう人」は、ぜひ以下の記事も☆
いろいろ考えてしまう。メリット&ラクになる考え方をご紹介! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
でも原因を考えすぎて疲れるのは卒業したい
原因を考えること自体は悪くないけど、疲れるほど考えるとなれば、話は別。
心や脳が疲れていると
- 自分の実力が発揮できない
- 意欲が低下する
- ネガティブ思考になる
- 判断力・記憶力・集中力などが低下する
- 体の抵抗力・免疫力が落ちる
ということを、招きやすくなります (*´Д`)
すぐに原因を考えることの「いいとこどり」がオススメ。考えすぎて疲れそうになったら、上手く切り替えられると心も脳も嬉しいでしょう (^-^)
明確にはわからない原因も多い
経験上「はっきりした原因はわからない」ことも多いと感じます。
- 誰かに「原因は〇〇だね!」と言われても、その人の主観も入ってたり。
- 自分自身「これが原因だ!」と思っても、冷静に考えると「ただの思い込みかも」みたいな。
心理学用語に「原因帰属」というものがあります。
たとえばテストの点数が悪かった原因。どう考えるかのプロセスはさまざま。
- もともと自分は頭が悪いから
- 自分の努力が足りなかったから
- 睡眠不足で本調子ではなかったから
- 何かの音が気になって集中できなかったから
- テストが難しかったから
- 先生の授業が下手でわかりにくかったから
- 運が悪かっただけ etc.
人によって、あるいは状況によって「原因をどう考えるか」が違うと言えます。
冷静に考えれば「複数の原因が複雑に絡み合っている」というケースもあるでしょう。しかし、
- 「自分のせいだ」と自分を責めがちな人もいるし
- 人や環境など「周りのせい」にしがちな人もいるし
- 「運が悪かっただけ」などと、さらっと流すだけの人もいます。
原因帰属理論については、また別記事でまとめる予定ですが、ここで強調したいのは「明確な原因はわからないことも多い。原因を考える人の主観が入ることもある」ということ。
また「自分でコントロールできないこと」については、すぐには原因がわからない、もしくは自分で深く考えただけではわからないこともあるでしょう。
たとえば
- お天気や自然災害
- 他人の感情・行動・評価などがかかわること
- 過去に起こったこと etc.
特に「人間の心」については、決まった公式や結果があるわけじゃないし、わからない。
考えてもわからないことを考えすぎて、結果的に疲れるのは避けたいもの (>_<)
(でも、考えるのが「楽しい」とか、それをSNSで価値ある情報にできるとかならよいと思います。)
自分でコントロールできることとできないことの例は、以下の記事に☆
自分でコントロールできないこととできることを区別し、心をラクに。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
最近の私はこうしている
最近の私は「ただ流れにまかせる」ということを取り入れ始め、けっこうラク。
楽しい時や感動した時は存分に味わい、嫌なことが起きた時は「それが最善なんだ」「起きるべくして起きた」「仕方ない」などと考え、ただ受け入れる感覚…。
なぜなら、どんな出来事からも何かを学べ、魂の成長につながるとわかったから。
そして、おそらく、宇宙の采配は完璧だから。
もちろん、長年すぐに原因を考えてきた蓄積が役立ったり、いろんな経験をしてきたこと (年の功) が心の余裕を生み出している側面もあるとは思います。
スピリチュアル的ではありますが「この世の中で体験することは決まっている」とも言われます。
今世での使命みたいなものとか魂の道は一人一人違い、だいたいは決まっている。
脳科学的にも「自由意思はない」ことがわかっているそう。
それを信じるのであれば、頑張りすぎる必要はないんですよね。無理は、しなくていい。
原因だって、考えたけりゃ考えてもいいし、考えなくてもいい。
私は最近、
- 考えて楽しい原因 (なんでこの出来事を引き寄せたんだろうとか)
- 「この原因は考えた方がいいぞ」と自分が判断したもの
- 「この原因は考えたいな~」と自分が思ったもの
だけ、深く考える。
それ以外の原因は、あまり考えない (長年の癖でさらっとは考えちゃうけど)。
特に、考えても明確にわからない原因はダラダラ考えず、切り替えて楽しいこと・心地いいことをする!
自分や他人をダラダラ責めたり「どうして上手くいかなかったんだろう」とネガティブにならず、とてもラクです。
ちなみに「人生、全部決まっている」と思うとムナシクなることもあるから、私は「決まっている部分もあるけど、自分の意思で変えられる (選んでいける) 部分もある」って思うようにしています (^-^)
まとめ:要はどっちでもいい
すぐに原因を考えて、疲れてしまう人へ。
原因を考えることにはメリットがあるから、原因を考えるのもOK。
でも「明確にはわからない原因」も多いし、考えないのもいいんじゃない?
というお話をしてきました。
「考えすぎて疲れてしまう」のだけは、工夫して卒業できるとよいですね。
切り替えが苦手な方は、ぜひ以下の記事も…。
切り替え上手になるには? すぐにでも試せる12個の方法! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
失敗は 今まで 無数に経験しています。 その原因は「自分にあり」と決めつけることが多かったです。 この考え方は 考え方によっては 「善良な人間である証拠」かもしれないと 思うことがあります。 でも それによって 自分をいじめてしまうことになり blogに書いてありました通り よく考えると いろいろな原因が絡んでいることがありますね。 「気にしすぎ人間」」は「自縄自縛」の人間で たとえ善良な人間でも 生き方ではヘタな人間ですね。
ムラカミ ヒロノリ様、このたびは記事をお読みいただき、コメントもくださり、ありがとうございます。
私も、すぐに「失敗」ととらえ、その原因を「自分にあり」と決めつけがちでした。
たしかに苦しい反面「自分は、いい人かも」「いい人でいたい」と思うことも多かった気がします。
今は「物事が起きる原因は一つではない」「だから自分だけが原因ということはあり得ない」と腑に落ちています。
原因の中には、目に見えない力のようなものもあると思っていることも大きいです。
仮によく理解できなくても、そうなのかもしれないと思うだけで、苦しさは減る気がします。
もちろん、明らかに自分による原因が大きい時や迷惑をかけた時は、その時々に応じて謝ったり対応したりします。
ただ、苦しむことはなくなった気がします。
複数の記事をお読みいただき、コメントをくださり、いつもありがとうございます。