突然「ありがたき無関心」という言葉が湧いたから記事を書く。

佳見 そら

「愛の反対は無関心」という言葉。

素晴らしい! たしかにそうだ!

でも先日、掃除中に、本当に勝手に頭に湧いたんだ。「ありがたき無関心」という言葉が。

あれっ? 無関心=「心がラク」「幸せ」ということも、あるのかもしれない!

ここでは「愛の反対は無関心」についてと、でも「ありがたき無関心も存在する」と思うこと、「ありがたき無関心」の例や、心をラクにして生きるポイントなどをまとめます (*^-^*)

たしかに「愛の反対は無関心」だと思う

「愛の反対は無関心」とは

  • 愛の反対は「憎しみ」「嫌悪」と思いがちだけど、
  • 無関心は相手に対し「興味がない」「気にかけない」ということだから
  • 本当は「無関心」こそが愛の反対なのではないか

という考え方。

「愛」も「嫌悪」も、実は相手に対して意識を向けている。という点では「かかわっている」。

でも「無関心」は、意識を向けていないのだから、かかわりが遮断されている。

恋愛で考えると、好きな人に「嫌い」と思われるより「自分に全く無関心」の方が悲しい (まぁ「嫌い」も悲しいけど‥) 。

無関心だらけの社会は、問題に気づきにくく、解決が遅れがちになるとも言えます。反対に愛あふれる社会は「人が人に関心をもち、気にかけ、手助けし合える社会」ということを言っているのかもしれません。

ここで言う「ありがたき無関心」とは

私の頭に降ってきた「ありがたき無関心」という言葉。

一見「愛の反対は無関心」と矛盾しているけど

  • 人から無関心でいてもらえる方が、心がラク
  • 相手に無関心でいる方が (自分も相手も) 心がラク
  • 相手に無関心のふりをするのも思いやり

という場合もあるよなぁ、と思うわけで。

「自分に無関心でいてもらうことで自由が得られる」とか「無関心でいてもらったからこそ恥をかかずに済んだ」とか「あえて無関心でいることで相手の成長を促す」とか、そういうこともある。 (まぁ「ほどほどの無関心がよい」というケースも多いけど)

「ありがたき無関心」の例

もちろん、状況によるし、限度があるケースもある!

と前置きした上で「ありがたき無関心」の例を挙げます。

自分の服装や持ち物などに無関心でいてもらえる

髪型や服装、持ち物などを変えると、すぐに気づく人がいます。

もちろん、気づいてくれて嬉しい側面もあるし、褒められたらもっと嬉しい!

でも、たとえば

  • 美容院に行ったら、変な髪型になってしまった
  • 評判の悪いグッズだけど、自分は気分が上がるから持ちたい
  • 服装や持ち物などを変えるたびに、ヒソヒソ言う人たちがいる

などの場合は「無関心」の方が10000倍いいじゃん!

また、庭にお花を植えたりドアに飾りをつけたりすると、近所の人が声をかけてくれるかもしれません。会話できる喜びもある反面、嫉妬みたいなものをぶつけられると「無関心の方が嬉しい~」かも。

家族や周りの人から無関心、家族や周りの人に無関心

「完全に無関心」だと、家族やコミュニティの崩壊につながりかねないけど‥

  • あまりにも関心を持ちすぎ、持たれすぎ
  • あまりにも気にかけすぎ、気にかけられすぎ
  • あまりにも干渉しすぎ、干渉されすぎ

などだと、お互いに苦しくなるでしょう (‘_’)

ストレスから、トラブルに発展する可能性だってあるし、

  • 何でも干渉し、先回りすることで、相手の成長の機会を奪ったり
  • 話したくないのにプライベートを詮索されると、不快になったり
  • 過度に期待や応援をしてもらうことで、プレッシャーになったりすることもある。

干渉や詮索をされすぎている側の人は「無関心の方がありがたい~~」と叫びたくなるかも (>_<)

街中で転ぶなど、恥をかいた時

私は恥をかくことが多かった (;’∀’)

  • 街中や駅の階段で、ド派手に転ぶ
  • 下ネタとかを、つい大声で話してしまう
  • 気づいたら顔にヘンな物がついている etc.

そんな時は「世の中のすべての人が、自分に無関心だったらいいのに」と思っていました (笑)

でも、転んじゃった時に「起き上がれない」とか「頭を打って救急車を呼ぶ状態」とかだったら、みんなが自分に無関心だったら困る。 うーーーん、難しいところだ (;’∀’)

「職場の人から無関心」の可能性もある

【例➀:乳幼児を育てながら仕事】

以前の私のように「周りの人は迷惑に思っているに違いない」などと考えすぎる。

ゆえに「神経を使って頑張りすぎる」という人もいるかもしれません。

でも子育てをしながら働く知人らの話を聞く限り、意外と「自分がいなかったり、少し遅刻をしたりしても、なんとかなる仕事」も多そう。 環境によっては、自分が少しぐらい遅刻や欠勤をしても「どうでもいい」と思われている場合もありそうだし。

だとしたら、これ、ありがたき無関心。

もちろん職種や立場によっては、そう言えないケースもあるでしょう。 & いつも謝罪もお礼もないとかでは、周りの人も気分を害する可能性が高くなる。 (すべては環境や状況によるけど)

子育てをしながら働いている場合に限らず、

  • 周りの人が迷惑に思っているかは、直接言われたり、愚痴が聞こえちゃったりしない限りは「わからない」
  • 自分が気にするほど、周りの人は何も思っていなかったり、自分に無関心の可能性すらある
  • それどころか、周りの人は「愛のある優しい人」かもしれない

と言えるでしょう。

【例➁:自分のやりたいようにやらせてくれる】

数々の仕事経験を振り返ると‥‥

常に見られ、いちいちアドバイスされる職場は苦痛でした (ありがたいアドバイスもありましたが)。

反対に「一度教えたら無関心」みたいな先輩もいたけど、ラクだったなぁ。

ありがたき無関心! (ちょっと寂しかったけど‥)

間をとり「無関心まではいかないけど、基本的に任せてくれる。質問すれば答えてくれるし、言うべきことは言ってくれる」‥‥そんな先輩や上司だと、仕事がやりやすくてラクかも (‘ω’)

ネガティブな思いなら無関心の方がありがたい

「意識を向けたものが増大する」という法則がある。

詳細は省きますが、脳科学や量子力学、潜在意識の仕組みの側面から、そう言えるのです。

となると、たとえば何かに挑戦する時、

  • 自分が「できる」「できる可能性はある」と思いながらやる
  • 周りの人も「あなたならできる」と思ってくれる

という方が、本当に「できる」確率は上がります。

逆に、自分が「できる」と思っても、周りの人にいちいち見られ「絶対に無理」「失敗すればいいのに」などと思われていれば、できる確率は下がってしまう。 (飽くまでも「確率が下がる」だけ)

なので、ざっくり

  • 周りの人がポジティブに思ってくれるなら、関心をもってもらった方がいい
  • 周りの人がネガティブに思うなら、無関心の方がありがたい

ということが言えるのです (‘ω’)

自分が誰かに関心を向ける場合も同じ。「嫉妬」「心配」「不幸を願う」みたいな思いだと、自分も気分がよくないし、相手にも悪影響。「エネルギー的には、よほど無関心の方がいい」ということになります。

「ありがたき無関心」を、心をラクに生きるために活用する

上記の例を、心をラクに生きるために活用する。そのポイントを考えます。

「周りの人は自分に無関心」と思い込む

「明らかに笑われた」とか「悪口を聞いてしまった」とかの場合は難しいけど‥‥

たとえば

  • 恥をかいてしまった‥ いや、きっと周りの人は自分に無関心だった。
  • 職場の人が悪口を言っているかも‥ いや、自分なんかには無関心だろう。
  • あの人たちにどう思われているのかな‥ みんな忙しいし、他人のことに構っている余裕はない

などと、思い込むことにする!

「言うは易し、行うは難し」かもだけど (;’∀’)

でも、自分だけが気にし過ぎている場合って意外とあるし、「事実」でなく、ただの「妄想」ってことも多いかも。 (特に、以前の私のように「自意識過剰」な人の場合、そう言えるでしょう)

ブルーになるものには無関心!

見たり考えたりすると気分がネガティブになるもの。 たとえば

  • 自慢ばかりに見えるSNS、暗いニュース
  • 放置されている空き家、汚い場所
  • 嫌いな人の服装や行動
  • 思う通りに動いてくれない家族や他人
  • 過去の嫌な思い出 etc.

これらに対し、心の中で「ほどよく無関心」でいられると、めちゃくちゃラク!

といっても「わかっちゃいるけど難しい」でしょうか‥‥

以下の記事では「無関心」でいるために有効な方法も、まとめています。

★心の中で無視・無関心。上手に使えれば、心がラクになるぞ! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜

相手への思いやり→ 無関心のふりをする

ある人にとっては応用編、ある人にとっては「いつも普通にやってる」かもしれませんが‥‥

  • 恥をかいた人を見かけた時
  • 周りに「人目を気にして実力が発揮できない人」がいる時
  • 周りに「干渉されるのがウザいと思っている人」がいる時

など、あえて無関心のふりをする。

愛からの無関心 (*^-^*)

以前お世話になった保育士さんの言葉に「目はかけるけど、手はかけない」があります。 完全な無関心ではなく、ちゃんと視界の片隅で見ていて、必要な時は手を差し伸べたり、声をかけたりしたい。

まとめ:上手に調和させたい

「愛の反対は無関心」についてと、でも「ありがたき無関心も存在する」ということなどを、お伝えしてきました。

一見対立するものを、さらさら~っと調和・両立させたい。

それは決して難しいことではなく、工夫や考え方しだいなのかな。

と思う今日この頃です (*^-^*)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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