「俯瞰する」とは‥‥
- 一歩引いて、全体像を見たり
- 高い所から見下ろすイメージをしたり
- 広い視野、大きな視点で見たりすること。
私は「心をラク」にさせるための方法の一つ、としています。
でも、あえて俯瞰しないこともある。人生を楽しむために (*^▽^*)
ここでは「どんな時に俯瞰すると心がラクになるのか」や「俯瞰する方法・コツ」をお伝えし、でも「こんな時は、あえて俯瞰しないよ~」というお話をします (*^-^*)
こんな時、俯瞰すると心がラク!
ズバリ、目の前の出来事に
- イラっとした時
- 不安で心配な時
- 落ち込む時、傷つく時
- 不満な時、モヤっとする時
- なんか気になり、かつ嫌な気分の時、などなど‥
俯瞰できると心がラクになります (^-^)
- 「あっ、自分、いま目の前の出来事に気を取られてる」と気づき
- 「そうだ、俯瞰してみよう」と思い
- 実際に、俯瞰するための何らかの実践をする。
これをするかしないかが、少しでも心をラクにできるか否かの「分かれ目」。
心をラクにするための俯瞰の方法・コツ
私の「俯瞰」は、ただイメージをする (想像する) だけ。
いつでもどこでもできるし、道具も必要ないし (;’∀’)
高い所から見下ろすイメージをする
たとえば
- 山の頂上や展望台から下を見たり、空を飛んだりする想像をする。
- 実際に、少し高い場所に行ってみる (自宅の二階や高い所にあるお店など)
- 実際に、航空写真や映像を見てみる etc.
それだけで、いろんなことを想像できます。
- 同じような出来事に、同じように感じている仲間がいる
- 同じような出来事に、全然気にしていない人がいる
- それどころではない大変な人・忙しい人がいる
- まさに今、生死をさまよっている人がいる
- (つらいことがあっても) いま趣味などを楽しんでいる人がいる
- 今この瞬間、ボケーっと何も考えていない人がいる
- 本能優位のお魚や動物もたくさんいる
- ただ静かにたたずみ、光合成をしてくれる木々がいる
- 刈られても刈られても生えてくる草がいる etc.
「いま気を取られていることは、ささいなこと」が腑に落ち、ちょっと心がラクになる。
ドラマを見ているイメージをする
「この世は仮想現実」という説があります。
私たちが住む世界は、宇宙のどこかに住む高度な文明の人たちがつくった「ドラマ」に過ぎないのだと。
「そうかも」を裏付ける論文があったり、科学的に解説されることも多くなりました。
ここでは、それが真実かは脇に置き「この世は仮想現実 (ドラマ)」ということにしてしまおう (*^▽^*)
- ドラマなんだから、いろんなことがあるのが当たり前だし。
- 皆それぞれ、いろんなことが起きてるし。
- 最終的に「どうにかなっていること」「大丈夫になっていること」がほとんどなのでは?
いま気を取られている出来事も、一視聴者として、外側から見てみる。
「VRゴーグルを着けて全体を見る」イメージをするのもいいかも☆
それにしても、自分はドラマの中のどんな登場人物なのだろう。愚痴や不満ばかりの人? 落ち込んでばかりの人? そのままでいてもいいし、キャラ設定を途中で変えてもいいし (*‘∀‘)
ゲームを見る or するイメージをする
この世の中を、ドラマでなく「ゲーム」と思う方法もある。
いま気を取られている出来事も、楽しくなる (かもしれない)!
今の自分は、人生というゲームを進めるゲーマー。
このゲーマーは、今回の出来事に対し、どう対処する?
- どんな方法でクリアしようかな~
- 心がラクになる考え方のアイテムがいっぱい! どれを選ぶ?
- 誰か (何か) を協力者として迎えることもできるぞ!
以下の関連記事も、よろしければ☆
人生をゲームだと考える方法。コツをつかみ、心ラク楽の世界へ! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
過去や未来を思い浮かべる
いま気を取られていることは‥‥
「今この瞬間の出来事」に過ぎない。
- 過去にはなかった (似たようなことはあったかもしれんけど)
- 一週間後、一か月後、一年後も、気を取られているのか?
- 死ぬ間際にも、この出来事が思い出されるのか?
長~いドラマの中の、ほんの一場面に過ぎないのです
そう考えると「こんな小さなこと、どうでもいい」という感覚になれる (こともあります)。
また、
- 仏教の「諸行無常」 (すべてのことは変化する)
- 仏教の「空即是色」 (すべての物事には実体がない)
- 故事成語の「塞翁が馬」 (人生の幸・不幸は簡単に予測できない)
を思うと「(いい意味での)どうでもいいこと」が、すごく多いのだと感じる。
自分が「嫌だな」と思う出来事も
- 気づきや学びを得られたり、感謝のきっかけになったり
- 自分の「好き」「こうしたい」がわかる機会となったり
- 同じことを経験する人の気持ちが理解でき、共感力が高まったりします。
たいていのことは、考えすぎても仕方ないし、とらわれる必要もないのだと。
詳しくは、以下の記事にまとめています☆
心がラク! ポジティブな「どうでもいい」の具体例と実感するヒント | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
高次元の存在を思う
神様、仏様、宇宙、天などと呼ばれる高次元の存在。
そういう愛・思いやり・感謝・光に満ちた存在があるのだとして、それを思う、感じる。
そもそも誰もに「神性」「仏性」が備わっているとも言われるので、できる可能性は高い!
「つらいよね」「腹が立つよね」などと、まず気持ちに寄り添う。
「そう感じてもいいんだよ」と優しく自分を受け入れる。
その上で
- あの人にも、何か事情があったのかもしれない
- 自分も同じ状況になれば、似たことをするのかもしれない
- この程度で済んだなんて、きっと高次の存在に守られているのだ、ありがたい
- どんなことも、先々の幸せにつながっているのだ
- 誰もが、何もかもが、素粒子の集まりなのだから「同じ」なのだ
- 人は皆、本来、生きているだけで価値がある
などの考え方を、あえてしてみる。
また、問題やトラブル、自然災害なども「高次元の存在の采配」なのかも。 そこから人々が気づき、学び、さらに良い方向、思いやりのある世界に向かう (戻る) ために起こっているとも捉えられる。
神様などの存在が科学的に証明されなくてもいいや。、そういう存在を信じたり、自分の中にもその性質があるのだと思い、それで少しでも心がラク&幸せな気持ちになれるのなら‥‥、それでいいや (*^-^*)
My「あえて俯瞰せずに楽しむ」の例
すべてが、いい意味で「どうでもいい」になると、楽しみも減っちゃうから‥‥。
プロ野球を見る時
プロ野球観戦が趣味です。
でも俯瞰して見ちゃうと
- どのチームが勝とうと負けようと
- 誰がヒットを打っても三振しても
- 珍プレーも好プレーも
すべて、どうでもよくなっちゃう (;’∀’)
だから、あえて「ホームランだ~」「今日も勝ったぞ~」という喜び、「ダブルプレーかぁ‥」「まさかの10連敗‥」という悲しさ‥‥。いろんな感情を、あえて感じて、人間やってることを楽しむ (*^▽^*)
子どもの運動会
子どもの運動会も同じ。
- 運動が得意な子も苦手な子も、皆かけがえのない存在だし
- ダンスが上手い子も下手な子もやる気がない子もOKだし
- 徒競走の順位も、優勝も最下位も、どうでもいい。
でも、あえて、この競争の社会や承認欲求の世界を、楽しむ、味わう。
子どもと「赤群優勝、よかったね~」と喜び合ったり「4位だったけど頑張って走ってたね」などと声をかけたり。これが全てドラマだとしても、そのドラマを存分に楽しむ気持ちで。
人がつくったすごい物に出会った時
人がつくったすごい物。
- 絵画、書道、手芸工芸などの作品
- 建物やテーマパーク
- 映画やお芝居、音楽 etc.
俯瞰する癖がつくと「いつか消えてなくなる」「いつかは忘れられる」とか頭によぎる。
でも、魂次元の世界とかゼロポイントフィールドとかがあるのだとして、そこには永遠に残るのだろう。
と思いつつ、目の前のモノに感動したり感謝したりし、今この瞬間を味わい尽くす。
まとめ:「心がラク」&「楽しい」の両方をいただく
心をラクにさせる俯瞰の方法とコツ、私があえて俯瞰しない時について、主にお伝えしてきました。
上手に俯瞰できるようになると、自分の気持ちに巻き込まれにくくなる。
ただ心がラクになるだけでなく、
- 物事を客観的にとらえられ、
- 冷静に課題を把握したり
- 適切な解決策が見つかったり
ということにもつながりますよ!
自分に合った「俯瞰する方法」を見つけ、少しでも心をラクに生きていきましょう! (俯瞰しすぎる時は、あえてコントロールして、この世を楽しむのがオススメ!)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。