ついつい、頑張りすぎる。以前の私もそうでした (‘_’)
なぜ自分は頑張りすぎるの? その理由を考えてみたことはありますか?
「そんなに頑張らなくていいよ」って言われても、実は頑張るも頑張らないも本人の自由☆
ただ、その「頑張りすぎ」が幸せにつながるものなのか、そうでないのか。‥‥幸せにつながらない頑張り方をしている場合、少しだけ改善してみませんか?
ここでは、「頑張らなくていいよ」の解釈についてと、頑張りすぎてもOKなパターンとNGのパターンについて、私の考えをまとめます☆
「頑張らなくていいよ」の解釈は人それぞれ
「頑張らなくていいよ」って聞くことが増えましたよね。
どんな言葉も「それを言う人の経験や価値観に基づいて」発されています。
なおかつ、どんな言葉も、聞く人の経験や価値観に基づき、勝手に解釈されます。
「頑張らなくていいよ」には深い意味があると思っていますが、この言葉だけを見ると
- もともと少しも頑張らない人は、もっと頑張らなくなるなぁ
- 子どもの時から、本当に何も頑張らなくてもよいのか?
- よい頑張り方をしていた人が、努力をやめたら残念だなぁ
- 頑張っていることを否定され、嫌な気持ちになる人もいるかも…
などとも感じます (‘_’)
でも「体全体に力を入れ、脳も心も忙しく、苦しさを感じるほど頑張りすぎ、下手したら病んでしまう…」そんな人には、ふっとラクになれたり気づきを与えたりしてくれる言葉かもしれませんね (^-^)
そこで次章から、頑張りすぎを「OKパターン (そのまま頑張り続けてもOK)」と「NGパターン (何らかの改善をした方がよい)」に分け、それを判断するポイントをお伝えします。
「頑張りすぎる」がOKなパターン
「頑張りすぎてもOK」な人って、どんな人でしょうか。
「すごく頑張る」のですから、努力の仕方が間違っていない限り、大きな成果や満足のいく結果につながる可能性も高くなりますよね☆
頑張りすぎる理由や考え方が前向き
頑張りすぎてもOKなパターンの一つ目は、頑張りすぎる理由や考え方がポジティブな場合☆
- 目標に向かって努力するのが楽しい・面白いから
- 頑張ることが好きで、苦にならないから
- (好きなことを頑張る場合) 単純に楽しいから etc.
このような頑張りは「苦しく感じにくい」ですし、「疲れにくい」とも言えます。
他人の目からは「頑張りすぎている」ように見えても、本人に「頑張りすぎている」という自覚がない場合も多いでしょう。
なおかつ自己肯定感が比較的高く、物事を前向きにとらえられるタイプの人。
仮に頑張ったのに結果が出なかったとしても、必要以上に落ち込まず「また頑張ろう」「次に生かすぞ!」などと考えられる感じです (*‘∀‘)
もちろん体力が必要なことの場合は、基礎的な体力があることも必須ですね。
必要な場面で休憩や調整ができる
頑張りすぎてもOKなパターンの二つ目は、休憩やペースダウンなどを適宜できること。
たとえばスポーツ選手でも、練習や筋トレを頑張りすぎて、ケガをしてしまっては本末転倒です。
- 「これ以上頑張ったら自分が壊れるから明日にしよう」とか
- 「後で疲れやストレスが爆発しないよう休憩を入れよう」とか
- 「少し頑張りすぎているからペースを下げよう」とか‥‥。
必要・適切な場面で、きちんと「調整」できる場合です。
自分の「ここまで頑張りすぎたらダメ」というポイントが分かっていれば、少しぐらい頑張りすぎても大丈夫。
ただ、このポイントが分かるようになるためには、いろいろな経験も必要かもしれませんね (‘_’)
「頑張りすぎる」がNGなパターン
以前の私もそうでしたが、ついつい頑張りすぎる大多数の人が、こちらに当てはまると考えます…。
根底に「自己否定」「自己卑下」がある
心の奥底に、以下のような思いがありませんか?
- 自分に自信がない
- ありのままの自分では、価値がない
- 人と比べて自分はダメだ etc.
こういう自己否定や自己卑下が根底にあると、
- こんな自分だから、頑張らなければ認めてもらえない
- こんな自分だから、頑張らなければ叱られる
- こんな自分だから、頑張らなければバカにされる
- こんな自分だから、頑張らなければここにいる価値がない
- こんな自分だから、頑張らなければ嫌われる‥‥
という思考が生じ、「不安や恐れから頑張りすぎる状態」になります。
仕事などの場合は仕方のないケースもありますが、ここに「楽しさ」はありません。仮に頑張って良い結果を出せた場合「喜び」を感じられるかもしれませんが、基本的に「つらく苦しい頑張り」となるでしょう “(-“”-)”
承認欲求が強めの場合、さらに自分を追い込みながら頑張りすぎる傾向も‥。なおかつ
- 必死すぎて、頑張りすぎに気づけない
- 自分の限界を超えて頑張りすぎてしまう
- 結果を出せなかった場合、ひどく落ち込む
ということにもなりがちです (>_<)
自己否定や自己卑下は、今までの環境や教育、経験などからつくられた「考え方の癖」であり「思い込み」とも言えるでしょう。誰も赤ちゃんの頃から自己否定はしていません。
現段階で自己否定や自己卑下ばかりしている人が、明日から急に自信を持てることはなくても… (*_*)
私の経験から「少しでも改善させ、幸せを感じながら生きること」は、誰にでも可能だと思います。
ご興味のある方は、以下の4つの記事も参考にしてみてください。
☆まず、自分の長所を見つけてみませんか? ↓ ↓ ↓
自信がない人は短所を長所に変換しよう!長所を見つける3つの方法 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
☆自分で自分を認めてあげられるようになると、必要以上に「他人から認められたい」と思わなくなります。↓ ↓ ↓
自分を認める3つの方法。簡単だから毎日やってみよう! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
☆自己肯定感を高めたいと思う方は、ぜひ以下の記事を。 ↓ ↓ ↓
引き寄せの法則で気にしすぎを改善【9.自己肯定力をつける】 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
☆ありのままの自分に価値を感じられると、幸せにつながらない頑張り方はしないようになりますよ。 ↓ ↓ ↓
「ありのままの自分でいい」の意味を理解力がないなりに考えてみた。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
完璧主義や自分を責めるクセがある
完璧主義な人にありがちなのは、以下のような感じ。
- 何事も完璧を求めて頑張りすぎる
- 人に任せられず、自分で何でも頑張りがち
- 頑張った結果が100%の出来でない限り許せない
もちろん完璧主義には良い面もあるのですが、
- 「~すべき」「~しなければいけない」
- 「100%の完成度でなければ0%と同じ」
- できなかった部分ばかりにフォーカスする
など、生きづらさにつながる「考え方の癖」を持つことが多いです。(私もそうでした…)
強靭なメンタルや体力がない限り、苦しさや心身を病むことにつながるケースも出てきます。
ただ「完璧主義だ」と気づいているだけでも一歩。「~すべき」という考え方を緩めたり、努力の過程や少しでもできた部分にも目を向けるなど、少しずつ考え方の癖を変えることで、今よりも心がラクになるでしょう。
また、自分を責める癖がある人も要注意。
前述の「自己否定」同様、この「自責」も幸せにはつながらない行為です (‘Д’)
自分を責めるような結果にしたくないから、つい頑張りすぎる。良い結果が出ればまだしも、うまくいかなければクヨクヨと自分を責めてしまう…。
自分を責める癖がある方は、ぜひ以下の記事を参考にしてみてください (少し長い記事ですが…)。
自分を責める癖がつらい…心がラクになる考え方や方法を見つけよう | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
心身を病んだ経験がある
前述の「頑張りすぎる」がNGなパターンは、すべて心身を病む可能性がある頑張り方です。
私も「つい頑張りすぎていて、気づいた時には心療内科行きだった」という経験があります。
「頑張らなくていい」と言われても、なかなか腑に落ちないというか‥‥難しく感じたもの (‘_’)
でも実際に心身を病んだり、それに近い状態になったりしたことがあるという人は、やはり「頑張りすぎないことを頑張る」必要があるかもしれません。
- 意識的に「休憩」や「休む日」をつくったり
- 手や気を抜ける部分では、うまく力を抜いたり
- 意識的にペースを落としたり
- 任せられる部分は、人に任せたり
- 深呼吸の習慣をつけたり
- うまくリフレッシュやリラックスできることを取り入れたり
- 無理せず少しずつ、考え方を変える練習をしたり‥‥
信頼できる心療内科や精神科の医師、カウンセラーさんなどがいらっしゃる場合、相談しながら少しずつ、自分に合う方法で実践していきましょう。
まとめ:自分はどうしたいか…
頑張りすぎてもOKな場合と、NG (心身を病むことにつながる可能性あり)な場合について、私の考えをまとめてきました。
心身を病むまで頑張りすぎる。その前に何か感じていただけたらと思い、この記事を書きました。
でも繰り返しになりますが、頑張るも頑張らないも、すべてその人の自由。
私の周囲の人が「頑張りすぎていて病む直前」などの場合は、適切な声がけやサポートをするでしょうが、こういう記事は不特定多数の方々が対象になります。
「自分はどうしたいのか。このまま頑張りすぎる自分でいるのか、少し何かを変えてみるのか。」ということを、自分で考えて行動する。そのきっかけにしていただけたら、と思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。