人のため?「半分は自分のため」でいいと思う & その例

佳見 そら

人のために、何かをする。

でも「半分は自分のため」でちょうどいい、と思っています。

で、実際そんなふうに生きています (*‘∀‘)

ここでは、なぜ「人のため半分、自分のため半分」でちょうどいいと思うのかをまとめ、「人のため半分、自分のため半分」の例をダラダラお伝えします (=^・^=)

なぜ「人のため半分、自分のため半分」でちょうどいいのか

厳密に「半分」でなく「6:4」「3:7」とかでもいいけど‥

いろんな視点から「半分は自分のためでいいのでは?」と思う理由を書いてみます。

「自分のため」でもあると、やる気が出るかも

「人のために行動しよう」「そういう人になろう」とか言われても‥‥

自分の得を優先に考えている人にとっては、なかなか「そうだよね、人のために行動するぞ!」と思えないのでは?

そんな時に「半分は自分のため」と思えれば、やる気が出てくる! (以前の私はそうでした‥)

たとえば

  • 人のために何かをして「ありがとう」と言われれば、自分も気持ちいい
  • 人のために行動することで、自分の幸せや健康につながるホルモンが出やすくなる
  • (公共の場所のゴミ拾いなどは) きれいであれば、自分も気持ちいい
  • いいことをすると、いいことが自分に返ってくる
  • 徳を積むことで、自分の心や現実が良き方に変わる (期待大) etc.

詳しくは、以下の記事にまとめています☆

自分のためにもなる!一日一善の効果。一善の具体例もご紹介! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜

「人のため10割」だと相手が負担に感じるかも‥

逆の立場に立つとわかりやすいですが‥‥

たとえば友人知人などに

  • プレゼントをもらったり
  • 助けてもらったりサポートを得たり
  • 自分のためになる行動をしてもらったりすると

ご厚意はありがたく受け取りつつ「お返しをしないと」という気持ちになることがある (‘_’)

もちろん「お礼やお返しなんていらない」と心から思って、思いやりの行動をするタイプの人もいるでしょう。でも、お礼やお返しがない時に文句を言うタイプの人もいます (以前の私のように)‥。

後者の人の場合、相手が自分のために行動してくれた時、かえって負担になる場合もあり。

なので「(あなたのためだけではなく) 自分も後からラクになるからさ」とか「(あなたのためだけではなく) 自分にも〇〇の得があるし」みたいな感じで「半分は自分のため」をアピールした方が相手もラク、という場合があると感じます。

他人の似たような行為を受け入れやすくなる

「偽善者」とは

  • 裏で悪いことをし、人前では善いことをする人
  • 「善い心」が伴わずに「善い行動」をする人
  • 自分の「得」「欲」のために善いことをする人

などのことを言います。 でも

  • 「(一般的に言われる) 悪いこと」を全くしない人
  • すべての善き行動に「善き心」が伴っている人
  • 自分の欲や得は少しも考えず、人のためだけに行動できる人

そんな人、いない‥。 もしくは、いても少数なのではないでしょうか?

「半分は自分のため」という考え方は「偽善」と思われることもあるかもしれない。

でも多かれ少なかれ「多くの人は、そんなもん」と受け入れることが、心をラクにすることにつながります。 聖人君子 (みたいな人) はいるかもしれないけど、多くの人は道半ばなのだから。

「自分のため」でもあると、お礼がなくても気になりにくい

自分が周りの人に何かをしても、お礼がない場合があります。

理由はそれぞれでしょう。

  • 相手が「お礼をしなくてもいい」「する必要はない」と思っている
  • 相手に「お礼をする」という文化・生活様式がない
  • 相手に緊張・照れなどがあって言えない
  • 相手がボケーっとしてて、つい忘れてしまった
  • 相手が「お礼をしたくない」と思っている etc.

以前の私は、お礼がないと、ものすごく腹が立っていました (自分がお礼を言い忘れることもあるかもしれないのに‥笑)。

でも「半分は人のためだけど、半分は自分のため」と思って行動すると、なんとお礼がなくてもあまり気にならなくなる! だって半分は自分のためなんだし、まあ相手にも価値観や事情があるわけだし‥ (*^^*)

「人のため10割」だと自分が疲れるかも‥

「人に尽くすのが自分の喜び」という人がいます。

でも何かをするには体力・気力が必要で、それに見合う体力・気力がなければ疲れます。

「自分」も大切な「人」。

もし「他人のため」に尽くして疲れ切ってしまえば、それは「自分という人」のためにはなっていません。

私も経験がありますが、心身を壊しては、逆に他人に迷惑をかけるとも言える。(でもそれも自分と相手にとっての大切な「経験」です)

だから「半分ぐらいは自分の体力や気力についても考えながら (自分をいたわりながら) 他人のために動く」

ということを大切にしています。

心や体に「余裕」を持った上で人のために行動した方が、自分も相手も心地いい。その方が自分からも他人からも「良きエネルギー」が出て、物事も「良き展開」に進みやすくなる気もします (*^-^*)

つい頑張りすぎてしまう方は、以下の記事も‥。

頑張りすぎなくていい理由 & 頑張りすぎないためのヒント。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜

「半分は自分のため・半分は周りの人のため」の例

身近な行動から「半分は自分のため」の具体例を7つ挙げます!

寄付

「(相手側が求めている) 物」を寄付する場合、もちろん相手のためにもなるけど

  • 自分の所有物が減らせる。(物が少ない方が「心のラク」につながるので)
  • 相手が「嬉しい」ことが、自分も「嬉しい」
  • その「物」も、使ってもらえる人の所に行けるのだから嬉しい (ゆえに自分も嬉しい)

ということで「半分ぐらいは自分のため」。

お金の寄付をする場合も「お金 (に対する執着) を手放す修行」「見返りを求めず喜んで差し出す修行」などのように考えると、「半分は自分のため」と考えることができます。

思いやりの行為

思いやりの行為とは、たとえば

  • 和やかな表情や言葉で人と接する
  • 周りの人の手伝いをしたり声をかけたりする
  • 座席を譲る、道を譲る etc.

人を思いやる行動をすることで

  • 相手も自分もいい気分になる
  • 自分と相手に「幸せホルモン」が分泌される
  • 自分も他人から思いやってもらえることが増える

などの可能性が高くなるので「半分は自分のため」と考えることもできます☆

といっても「相手が求めていることがわからない」「思いやりって、いろいろ難しい‥」と思う方は、以下の記事も!

思いやりのある人になりたい! 今日から始められる3つのこと。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜

周りに尽くす

たとえば、私が地区の子ども関係の役員をしていた時

おそらく周りの人から「細かい所まで気づいて (先回りして) 役員の仕事をやっているな」と思われていたと思います ( ;∀;)

でも断言しますが「半分は自分のため」です (笑)

  • 後からトラブルになったら自分が面倒
  • ちょっとした問題はさっさと解決させた方が自分がラク
  • みんなが気持ちよくいられることで自分も気持ちいい

感謝してくださる方もいれば「うざい」と思う方もいたかもしれない。でも冷静に考えて「この行動をした方が自分のためにも人のためにもなる」と思ったことは、人目を気にせず動くようにしていました。

祈りや感謝の儀式

現在、私は

  • 起床後に瞑想と祈りの儀式
  • 入浴時に四弘誓願文などを唱え、感謝の儀式もする
  • 寝る前にヨガのしかばねのポーズで感謝と自分褒め

などを毎日しています。

なぜやっているのかと言えば、ただ自然と「やろう」と思うから、としか言いようがないのですが‥ (;’∀’)

でも言葉で表すなら、やはり自分も含め、世の人々が少しでも「心をラク」にして生きられたらいいなぁと思うから。また、このような儀式をやっている方が自分の生活がうまくいっている感じがするから、というのもあります。

このブログも‥‥

2019年から、月に8~10本ぐらいのペースでブログ記事を書いています。

もちろん、私のブログ記事を読んで「損した」「時間のムダだった」と思う方もいらっしゃるでしょう m(__)m

でも、一人でも二人でも「心がラクになるヒント」「何らかの気づき」を得ていただけたら、という思いで書き続けています。

同時に「自分のため」にもなっている。

  • 調べることで知識が得られたり
  • 考えることで気づきを得られたり
  • 自分の興味、考え、生きる軸などが明確になったり
  • 文章をまとめる力がついたり
  • 嬉しいコメントをいただけて感激する体験ができたり‥‥

自分自身の成長につながっているなぁと、ありがたく思っています。

という意味では「半分は自分のため、半分は読者様のため」 (になってるといいなぁと願っています (;’∀’))

生活全般も‥‥

たとえば、お金をいただけるお仕事の場合、

  1. 人に喜んでもらったり人の役に立ったりしているのは「(主に)人のため」
  2. 生活をするためのお金をもらうという点では「自分 (と家族) のため」
  3. 自分の楽しみや生きがいにもつながっていれば「自分のため」

お金につながらない仕事や活動なども、1と3には当てはまると言えるでしょう。

ライフスタイルは、個人の価値観や経済的状況により、人それぞれ。

私のように、自分がするあらゆる行動に「人のため半分、自分のため半分」と考えて行うケースもあれば、

ざっくりと

  • 仕事や活動などは「人のため」
  • 自分一人のプライベートな時間は「自分のため」

と思って生きている人もいるかもしれませんね。

人生において「人のための行動の方が極端に多い」という人もいれば「自分のための行動の方が極端に多い」という人もいるでしょう。 そこに正解はなく、基本的には「自分で考えて自分で決めて」生きていいのですよね。

一見「自分のためだけ」に思えることも‥‥

たとえば、私が「ただやりたくてやっていること」の中に

  • 読書
  • プロ野球を見る
  • 農業の番組を見る
  • ただ電車に乗る
  • 楽器を弾く

などがあります (;’∀’)

一見「全く人のためにはなっていない」と思うけど、

  • 読書→ブログ執筆の役に立つ、人との会話の中で知識を話せる
  • プロ野球を見る→学びを得て我が子に伝えられる
  • 農業の番組を見る→将来家庭菜園やプチ農業をした時に役立つかも
  • ただ電車に乗る→鉄道会社の収益に貢献
  • 楽器を弾く→聴いた人が「自分も弾きたい」という気持ちになるかも

などなど、人のためにもなっている、もしくは「なる可能性がある」!(‘∀’)

皆様が「一見、自分のためだけにやっている」と思うことは、どうですか? 仮に「全く人のためになっていない」と思う場合でも「楽しいエネルギー」「心地いいエネルギー」が発されていれば、間接的に周りの人のためになっていると言えます!

まとめ:ゆるい感じでいいので、やってみる、続ける。

なぜ「人のため半分、自分のため半分」でちょうどいいと思うのかと、その具体例などをお伝えしてきました。

別記事でも書いていますが、私は、初めは「自分の得を考えての利他 (人のための行動) でもいい」と思っています。

どんな形であれ、どんなきっかけであれ、まず「やってみること」。

コツコツ続けるうちに、少しずつ

  • 気づきが生まれ、利他に心が伴い、生活に変化が起き、
  • 承認欲求や損得などが消えた利他ができるようになり
  • 自分も周りの人も「心がラクで幸せ」と感じられる時間が増える

そんな期待ができるのです (*’▽’)

「そんなの偽善だ」「めんどくさい」などと言って「やらない」のでは何も変わりません。でも、どんな心持ちであれ「とにかくやってみる」を選択すれば、良き方向に変わる可能性があるのです☆

長い記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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