
若い頃、ちらっと思った夢。
「仕事も家事もせず、ずーっと野球を見ていたい‥」
でも昨年気づいた。
「あれっ? ずっと見ているのって、意外と疲れる‥」
ここでは、「見すぎて疲れる」の例と、なぜ「見すぎると疲れる」のか、「見すぎて疲れる」を避ける3つの方法、でもバランスも大事かも、というお話をダラダラします (;’∀’)
「見すぎて疲れる」の例
私の趣味で恐縮ですが、例を挙げます (;’∀’)
- スポーツの試合の配信をいくつも見る
- 家庭菜園に関する番組や本を見まくる
- 旅関連の番組や動画をずっと見ている
- 人が演奏・歌唱する動画を何本も見る
- スピ系の動画やブログを見まくる etc.
好きなこと・興味のあるものを見ているだけなのに、なぜか後から疲れる (*ノωノ)
なぜ「見すぎると疲れる」のか、考えた
「疲れる」とは、
- 過度な肉体的・精神的活動により、体力や気力が消耗すること
- 体・心・脳に負担をかけ、その後の体・心・脳の働きが低下すること
えっ? ただ「好きなものを見ている」だけじゃん。
なのに、なぜ疲れるのか。 考えられる理由 (可能性) を箇条書きで挙げます。
- 目や体に負担がかかるから
- あれこれ考え、脳に負担をかけているから
- その考えと共に、心も動く (特にネガティブ感情は疲れる) から
- やるべきことを後回しにし、後で大変になるから
- で「やるべきことをやればよかった」と後悔するから
- 形として何も残らず「意味のないことを長々してしまった」と自分を責めるから
- 睡眠不足になるから
- 食事・食生活がおろそかになるから etc.
そうか、理由を3つにまとめると
- 「体や脳をいたわること」を最優先していないから
- やるべきことを、やるべき時に、やらなかったから
- 見ながら or 後でネガティブ感情になっているから
ということなのかもしれません (‘_’)
「見すぎて疲れる」を避ける方法
前述の内容をもとに、「見すぎ疲れ」を避ける方法を3つ考えてみました。
「体や脳をいたわること」と「やるべきこと」を最優先させる
人や状況によっては
- 眠いのに、動画などを見続ける
- 食事をとらずに見続ける
- やるべきこと (人によって違うけど、仕事・何らかの活動・家事・育児など) があるのに、やらずに見続ける
という場合があるかもしれません。
つい夢中になって見続け、
- 目を酷使している
- 同じ姿勢で長時間いる
- やるべきことを忘れてしまっている
という状態になっていることも、あるでしょう。
これらは、後々の「体や脳の疲れ」「後悔」につながりやすくなる。
だから、シンプルにこれらを避ければいいのです (^o^)
たとえば
- 「何時まで」とか「何分だけ」などと時間を決めて見る
- 「今は一本だけ」と強く決めて見始める
- タイマーをセットし、定期的に休憩を入れながら見る
- 「休憩」とは、目を閉じる・深呼吸・軽く体を動かす・歩くなど
- やるべきことをやってから見る
- シンプルに、眠けりゃ寝る etc.
こういうことを「実際に心がけること」で、疲れは減るのだと思います。 (と書いていますが、好きなものを見続けて疲れたり後悔したりするのも、それはそれでヨシ。 というか、その人の自由です (;’∀’))
「見るだけ」でなく、体・手・口を動かす
内容や人にもよりますが、長時間「見ているだけ」だと、ネガティブ感情 (後悔・自己否定など) が出やすくなる気がします。
だから「たまには自分の体を動かすこと」も、やってみる (*’▽’)
私の趣味の場合、たとえば
【野球を観るだけでなく】
- その場ジョギングや筋トレ・ストレッチなどをしながら観る
- バッティングセンターや公園 (キャッチボールや一人で壁当て) に行く
- ノートに試合結果やスコア、好きな選手のデータなどを書く etc.
【家庭菜園の番組や本・図鑑を見るだけでなく】
- 実際に鉢やプランターで育てる
- 単発の家庭菜園教室や援農ボランティアなどに行く
- 庭に小さな畑をつくる計画を立てる etc.
【仏教の本を読むだけでなく】
- 般若心経や短いマントラを声に出して唱える
- 般若心経をノートに書く
- 瞑想を行う etc.
【人が演奏・歌唱する動画を見るだけでなく】
- 自分も好きな歌を歌う
- 自分も楽器を演奏する
- 自由に作詞作曲をする etc.
その他にも
- 物づくり (料理・DIYなど) の動画やレシピを眺めるだけでなく、簡単なものを作ってみる
- 上達法の動画や本を見るだけでなく、少しでもやったり行ったりしてみる
- 旅番組や動画を見るだけでなく、近い所でもいいので行ってみる
などを、自分で実際にする。
少しでも体を動かすことで運動になるし、心地よい「無」が得られることもあるかも。 達成感や新たな気づきも得られるかもしれず、小さな行動でも「貴重な自分の体験」となります!
まぁ「自分は上手くできない」「思うようにできない」と、嫌になるケースもあるかもだけど‥
そう気づけただけでも成長だし「やってみた自分はエライ!」と存分に褒めてあげています (笑)
自分に「許可」を与える
飽くまでも私の場合ですが‥‥ これが最も難しかったかも。
なぜなら、自分の外側 (周りの人や社会) から長年
- 意味や生産性のあることをするべきだ
- 主体的に目的を持って何かをやるべきだ
- 受け身だけではダメだ
などと教えられて (刷り込まれてきた) きたからです。
でも本来「自分の自由時間」は、何をしてもいい (迷惑行為や誰かを傷つける行動でない限り)。
きっと神様もそう仰ると思います。
「好きなものを、ただ見るだけ」の時間は、本当は至福の時間。
体や脳をいたわることや、最低限やるべきこと (と考えていること) をやりさえすれば、あとは自由!
- 今この瞬間を目いっぱい楽しむ
- 存分に心地いい気分になる
- 「無」や「夢中」になれる
それら自体を「目的」としてもいいのでは?
「楽しい」「心地いい」などの快のエネルギーが自分から発され、快のエネルギーは (一般的に言う) 良き影響を周りに与えることが多いのだから、「意味や生産性がある」とも言えるでしょう。
ちなみに「何もしない時間」「ボーっとする時間」は、「脳と心身を休め、自分を整え、必要な時に実力を発揮するためのエネルギーチャージの時間」だと思っています。 (たまに「ひらめき」も起こるし (≧◇≦))
自分なりの「バランス」が大事かも
飽くまでも私は、日々「中庸」や「バランス」を心がけています。
「偏り過ぎない」とか「自分の中あるいは他者との調和」とか。
ここまで書いてきた内容もそうですが、その他にも
- 仕事などで肉体労働が多い人は、休日は「見るだけ」でもいいのかも
- 完全な「自分の自由時間」が少ない人は「見るだけ」もいいのかも
- 普段体を動かすことが少ない人は「見るだけ」でなく積極的に体を動かした方がいい
とも思います。
でも、どう過ごそうと、自由。
一応、人に多大な迷惑をかけなければ、とは言っておきますが (;’∀’)
現代は良くも悪くも「見るもの」が多いですね‥‥以下は関連記事です。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。






