
40代後半の主婦です。
記事タイトルに「本名で生きる」と入れたけど、私は
- 在日の外国人
- 偽名で生きざるを得ない
- 複数のアカウント (ペルソナ) を持つ
の、どれにも当てはまりません、すみません (‘_’)
本名の自分でない「誰でもない私」でいる時間が増え、それも心がラクで楽しいということを書きたいだけ (;’∀’)
ここでは、「私とは一体誰なのか」について簡単にまとめ、「本名で生きる時間」と「本名で生きていない時間」の例、なぜ私が「誰でもない私」で生きる時間も心がラクなのかなどを、お伝えします。
「私」とは一体誰なのか
スピリチュアル的にはなりますが、「私」とは
- 「名前と肉体がある個の存在」と
- 「(自分を含む) 宇宙全体」の
両方である、と言われます。 (科学者や医師で仰る方もいます)
ほとんどの人は、1番だけが「私」だと思っているでしょう。
でも宇宙のすべての存在は本質的に区別なく、一つの生命エネルギーや意識であり、それも「私」。
たとえば私の場合
- 家族や友人知人といる時の「本名の私」も
- ブログを書いている時の「佳見そら」も
- 他の人・動植物・物・場所・銀河系などの「すべての存在」も
ぜんぶ「私」なのだそうです。
ぶっ飛んでいて、よくわからん? 個の私もまだ、完全には腑に落ちてない (;’∀’)
瞑想をしたり、大自然の中でボケーっとしていると、たまに感覚的にわかる時があるぐらい。
ご興味のある方は「本当の自分を知る本 (奥平亜美衣著・SBクリエイティブ出版)」という本が、比較的わかりやすく読みやすいと思います (科学的な解説も付いています)。
「本名で生きる時間」「本名で生きない時間」の例
箇条書きで例を挙げます。
「本名で生きる時間」とは
人によって解釈は異なるけど、こんな例があるでしょう。
- 家族と過ごす時間
- (リアル社会での) 友人知人と話す時間
- 法的・社会的な手続きをする時
- 身分証明書などを発行する時
- ハンドルネーム・アカウント名・源氏名・偽名などから離れた時間
- 特別な事情で改名していた人が本来の名前で生きられるようになった時間
- 仮面を被らず、素で生きられる時間 etc.
「本名で生きない時間」とは
これも人それぞれ解釈は違いますが‥
- ハンドルネームや旧姓で仕事・活動をする時間
- 本名を明かしていない人と付き合う時間 (リアルもネット上も)
- 本名を知らない人たちの空間にいる時間 (公園・お店など)
- 誰ともかかわらず、一人でいる時間
- 瞑想やボケーっとしている時間
- 「いま誰でもない私でいる」と思っている時間
- 特別な事情で、本名以外の名前で生きている時間 etc.
現在の私の場合
ちなみに今の私にとって「本名で生きる時間」とは
- 家族や友人知人と過ごす時間
- 何かの手続きや証明書発行などをする時
- 書類などに名前を書く時
- 本名の私が経験したことを思い出す時間
- (ブログの執筆中に) 本名の私が経験したことを書く時間 etc.
「本名で生きていない (誰でもない私で生きている)」と感じる時間は
- 瞑想している時間
- ボケーっと無になっている時間
- ブログを書いている時間
- 一人で散歩やジョギングをしている時間
- 一人で野球観戦・家庭菜園・乗り鉄・読書・楽器演奏などをしている時間
- 一人で (手続きなどが必要ない) 日帰り旅をしている時間
- 自分のことを誰も知らない空間にいる時間 (名前を言う必要もない) etc.
もちろん、他の誰かから見れば、私が何をしていても「(本名の) 肉体と洋服を着た私」に見えているのでしょう。
飽くまでも自分の感覚として、本名を忘れてる。 誰でもない感じ。 といっても「本名で生きる自分」と「誰でもないわたし」がごちゃ混ぜになっている時もあるし (;’∀’)
たまに
- 自分の肉体がないような感じ
- 自分が思っているというより「何か」に思わされている感じ
- 肉体があって行動もしているけど、自分がというより「何か」に動かされている感じ
になる時もあり、この「何か」が「神様」「宇宙」「創造の源」「大元の私」などと呼ばれるものなのかも(*^-^*)
本名で生きない感覚の時間も心ラク楽な理由
本名で生きていない (誰でもない私で生きる)。
そんな感覚、なんか怖い?
いやいや、こっちの私も、けっこう心がラクで楽しいのです(笑)
嫌な過去は「別の誰かのもの」という感覚になる
今までの人生の大半の期間「過去を思い出して苦しむこと」が頻繁にあり。
このブログに書いてきたさまざまな実践を続け、
- 過去を思い出すこと自体が減った
- 過去のよいこと・楽しかったことを思い出す割合が増えた
- 嫌な過去を思い出しても「学びを得て、今がある」と思える
と感じ、ラクになりました (*^-^*)
それどころか、嫌な過去のことが自然と思い出されても
- 私の過去ではない
- 別の誰かの経験みたい
- 「地球物語」という壮大なドラマを見ていて、その一つのことに過ぎない
という感覚になる時も増え、これはもうラクの極み (笑)
傷つきにくい、嫌な思いをしにくい
自分の周波数を高めることを心がけてから‥‥
そもそも「嫌なこと」「嫌な人」が、目の前に現れにくくなりました。
(「自分の周波数」については、以下の記事にまとめています)
★自分の周波数とは & 自分の周波数を知る3つの方法 (私流!) | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
たまに「昔の私なら傷ついていた」ということを見たり言われたりもするけど、
- 個の自分にバリアが張られている (だから傷つかない)
- 自分が見たり言われたりしているのではない
- 相手の気持ちもわかる (相手も自分なのだ)
みたいな感覚になることもあり、心がラクなことも多い (‘ω’)
もちろん社会的な、地に足のついた「個の自分 (本名の自分)」もいて、今後に生かした方がよければそうします。
また、「すべては自分」と思えると、
- 自分の短所・失敗・ブラックな面
- 他者の短所・失敗・ブラックな部分
- (一般的に言われる) よくない出来事
なども受け入れやすくなると感じます。
なかなか言葉で表すのが難しいけど、本名で生きる自分と、本名で生きていない自分 (誰でもない私) を、うまい具合に行ったり来たりする感じ‥‥。「どうせ自分ではないのだし」と思ったり「この世のすべては自分なのだから」と思ったり (;’∀’)
人に期待をしにくくなる
現在の個の私 (本名の私) は、ただの主婦で子どもが二人います。
「誰でもない私」で生きる時間や「すべては自分」と思える時間が増えると、子どもへの期待が少なくなりました。
もちろん、これは「よくも悪くも」ということにはなるのですが、
- 我が子に「こうなってほしい」という望みが減る
- 我が子の意思ややりたいことを、心から尊重できる
- 我が子の活躍も我が子以外の活躍も、純粋に「すごい」と思える
ことなどが増え、親子共々、以前より心がラクでイキイキ生きられている感じがします。
我が子だけでなく、周りの人 (家族・友人知人・お店の人・通りすがりの人) への期待も減っています。すると「自分が期待されている」とか「人からこう思われたい」という気持ちも減り、プレッシャーから解放されてラク (*^。^*)
まとめ:あなたにはありますか?
「本名で生きる時間」「本名で生きない時間」の例や、なぜ私が「誰でもない私」で生きる時間も心がラクなのかについて、お伝えしてきました。
「誰でもない私」でいると思う時間、あなたにもありますか?
「ない」「そんな感覚わからない」というのも、全く問題なし。 OKOK。
「あるかも」という方でも、先述の通り、いろいろな解釈があるでしょう。 でももし「誰でもない私」が心地いいと感じるのなら、可能な範囲でその時間を増やしてみてはいかがでしょうか?
以下は関連過去記事です。(➀には「宇宙全体=本当の自分」についても書かれています)
➀自分とは何だろう。本当はみんな多重人格? | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
➁一人の時は自分がない & その時々によって違う自分を楽しむ! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
➂「自我」とは。自我が弱くなったら、嘘みたいに心がラクに! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
➃人と比較して落ち込む時の対処法&「みんな同じ」って考える提案。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
➄周りに現れる人は、もしかしたら別世界の自分かもしれない。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
最後までお読みいただき、ありがとうございました。






