よく「人をジャッジしない方がいい」と聞く。
「人をジャッジする」とは、人の発言・態度・行動などに
- 「いい」「悪い」と判断したり、口に出したりすること
- 「よくない」「ダメだ」などと思ったり、口に出したりすること
の2説があります。
いずれにせよ「人をジャッジすること」をゼロにはできないし、しなくていいとも思うなぁ。
すべての物事に光と影があるのだから、「悪い」と思うことがなくなれば「いい」と思うこともなくなっちゃう (‘;’)
だから人をジャッジしてもいい! ジャッジする自分も丸ごとゆるす!
けど、その後に考え方をちょこっと変えたり、誰かに伝える時は「ジャッジを和らげる言い方」をすればよいのでは? \(^o^)/
ここでは「人をジャッジすること」についてまとめた後、人をジャッジした後に考え方の方向を変えるススメ、ジャッジを和らげる言い方の工夫について、お伝えします☆
「人をジャッジする」とは
大前提として、人をジャッジするもしないも自由。
&心で思うだけならバレません! (もちろん人・時・状況によるけど)
人をジャッジする例
ここでは「ジャッジ = いい・悪いと判断すること」とします。
【「いい」と判断する例】
- 人の講演を聴いて「わかりやすい」と思う
- 礼儀正しい態度に、好感を抱く
- さりげない気配りの行動に「見習いたい」と思う
- 人が書く文字を見て「きれいだ」と思う
- 人の外見を見て「かわいい」と感じる
- 人の作品を見て「素晴らしい」と感動する etc.
「いい」とジャッジした場合は、表に出すことが「褒める」ということになる。 褒められれば人は嬉しい (場合が多い) し、自分も幸せホルモンが分泌される (場合が多い) し、自分にも相手にもヨシ \(^o^)/
【「悪い」と判断する例】
- 人の講演を聴いて「わかりにくい‥ もっと準備してくればいいのに」と思う
- 上司が舌打ちした時「態度がなっていない、これじゃあ部下もついてこない」と思う
- 目の前の高齢者に席を譲らない人に「スマホばかり見ているようではダメだ」と思う
- 人が書いた文字を見て「下手くそだなぁ」と思う
- 人の外見を見て「かわいくない」と感じる
- 人の作品を見て「全然よくない」と思う etc.
「悪い」とジャッジした場合は、表に出さない方がいい (←この文章自体が、すでにジャッジ‥笑。表に出さない方がいい理由は後述します)。もちろん時と場合によるので、きちんと言った方がよいケースもあるでしょう。
ジャッジは主観が入る場合が多い
中には
- これは法律に反している
- 県の条例に反している
- (一般的な) 道徳・倫理的によくない
などの「ジャッジ」もあるでしょう。
でも私たちが意識的・無意識的にしている多くのジャッジは、その人の「主観」が入っています。
「主観」とは、人それぞれが持つ独自の視点・感情・思考のことで、
- 育った環境、育てられ方
- 誰かに繰り返し言われたこと
- 学校教育やメディアから刷り込まれたこと
- 持っている知識や過去の経験
- もともとの性格・特性・気質
- 現在の自分の能力・スキル・実力
- (あると仮定し) 潜在意識に入っている思い込み
- (あると仮定し) 今生&過去生からのカルマ
- (あると仮定し) 魂や人生のプログラム
- (あると仮定し) 魂や精神性のレベル
などが関係してきます。
つまり「いいか悪いかは、人によって違う」ことも多い。
また、自分基準で即ジャッジする人もいれば、ある程度客観的に分析した上でジャッジする人もいます。
(同じ人でも、状況によって違う場合もある。)
★例➀:ピアノを弾くのが上手な知人 (かなり高いレベル) が、自分より下手な人は全員「あいつは下手」と言っていた。
★例➁:マズい野菜炒めを食べた時、即「マズい」とジャッジする人と「(お肉が硬いし野菜もべちょべちょだし味も薄いからマズいと思う人が多いだろうな、と思いながら) 美味しくない」とジャッジする人がいる。
人をジャッジしすぎると自分に損
「人をジャッジすること」をゼロにしなくていいけど‥
しすぎると、自分に損です (._.)
理由は、自分に返ってくるから。
「自分に返ってくる」とは、いろんなパターンがある。 たとえば
- 事あるごとに「自分もジャッジされているのではないか」と不安に思う
- ミスなどをした時に「きっと周りの人にダメ出しされてる」などと思う
- 人の目が気になりすぎて苦しくなる
- 人からの評価が気になりすぎて、自分の「やりたい」がわからなくなる
- (目に見えない素粒子の性質上) 実際に自分が他人からジャッジされることも多くなる
- 自分で自分をジャッジすることも多くなる
- 人へのジャッジを口に出せば「あなたはどうなの?」と他人から思われる‥‥
そういう可能性が高くなります。
結局、目の前の現実は、自分の心がつくっている!
ちなみに、いろんなことをいい意味で
- 「どうでもいい」
- 「ただ~なだけじゃん」
- 「まあいいか」「仕方ない」
と思えると、人をジャッジしにくくなるし、ジャッジしても切り替えやすくなります。
ご興味のある方は、以下の記事も!
★心がラク! ポジティブな「どうでもいい」の具体例と実感するヒント | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
★良い悪いを判断しない。「ただ~なだけ」と考えて疲れを軽減! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
★「まあいいか」を口癖にする3つの効果と、心をラクにする使い方。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
★「仕方ない」と考える効果。上手く使えると、心がラクで幸せ! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
人をジャッジするのもOK。でもその後に考え方を選ぶ!
実は「何をどう考えるか」って自由なんだよね。
何事にもメリット・デメリットがある
私の今までの経験から、
- 人の特性・能力などをジャッジしたからこそ、適切な対策や方法が浮かび、前に進みやすくなった
- 子どものジャッジをしたからこそ、適切な指導・サポートができた
- 自分の (悪い面の) ジャッジをしたからこそ、改善して今の自分がある
などとも言えると思うのです。
だから、人をジャッジしてもいい。
ついジャッジしても「それもOK」と受け入れられると、心がラクです (*^-^*)
人を悪い方にジャッジした後、こう考えてみては?
人をジャッジするのはOKだけど、自分・相手・周りの人などに光を送りたい。
だったら「人を (悪く) ジャッジした後、こんなふうに考えたらどうかな?」ということを挙げます。
(状況に応じて適切なものは異なります。)
- でも、いろんな可能性があるぞ (実際にあらゆる可能性を考えてみる)
- 相手は最善を尽くしたのかもしれない
- 相手なりに一生懸命頑張ったのかもしれない
- 相手は悪気なくやっただけかもしれない
- 相手には相手の事情があるのかもしれない
- 相手自身も「治したい」と思っているけど治らないのかもしれない
- 相手はかわいそうな環境で育ったのかもしれない
- 相手は相当な悩みや闇を抱えているのかもしれない
- 相手は疲れ切っているのかもしれない
- 相手はついつい夢中になっていたのかもしれない
- 自分もその立場に立ったら同じことをするかもしれない
- 相手の〇〇は欠点かもしれないけど、他の良い面がある
- 逆に相手の〇〇の欠点を生かすことはできないかなぁ?
- (さりげなく) 自分にできることはないかなぁ?
- 自分は「悪い」とジャッジしたけど、他の人は違うかもしれない etc.
人をジャッジした後に、ちょこっと相手を思いやる感じ。最初は、形だけでもいい。コツコツ続けることで、少しずつ自分の心も変わってきて、目の前の現実も良い方に変わってくる期待大です!
最近、私はこう考えました!
一つ具体例を。
つい先日、第二子の「新入生説明会 (中学校)」がありました。
説明中に先生が言い間違えをし、先生自身もすぐに気づいて訂正したけど‥‥
言い間違えと同時に、私の斜め前に座る二人の保護者がギャハハと笑いました。
きっと以前の私なら
- 「先生かわいそう、すごく恥ずかしいだろうなぁ」
- 「ひどい保護者だ、嫌な人だ」
- 「自分だって間違うことがあるだろうに‥」
とジャッジし、ずーっと頭から離れず、帰宅後は夫や子どもに愚痴っていたであろう “(-“”-)”
でも今日気づいたら、上記の考えが一瞬浮かびそうになった後、即座に
- 「もちろん先生が傷ついた可能性もあるけど、笑い声が聞こえてなかった可能性もあるし、聞こえていても傷ついていないかもしれないし、傷ついたけど切り替えられているかもしれない」
- 「あの保護者は、自分が同じように言い間違いしても、自分も笑っちゃって、人から笑われても傷つかないのかもしれない。むしろ笑ってくれた方がラクぐらいに思っている可能性もある」
- 「人はみんな、その人自身の色眼鏡で物事を見るものだし、先生の心理も、その保護者の心理も、わかりようがない」
などと浮かび、素早く流せました (‘ω’)
しかもその保護者は、懇談会などで「言うべきことをはっきり言える」という良い面もあるのです。
人をジャッジしても、それを和らげる言い方を考えた
何を言うにしても「言い方」は大事 (自戒もこめて‥) 。
人を悪い方にジャッジし
- バカにする
- 怒りやイライラをこめる
- 頭ごなしに決めつける
などの言い方では、言う人も聞く人も幸せから遠ざかります (‘_’)
(でも、そういう世界で生きるのも自由です)
なので「感じの悪くならない言い方・フレーズ」を考えてみました。
- 「いい・悪い」を使わず「私は好み・私の好みではないなぁ」などと言う
- 「私はいい ( or よくない) と思ったけど、人それぞれだよね」と言う
- ジャッジした後「まあ、いろいろ大変だったのかもしれないけどねぇ」などと相手を思いやる言葉を付け足す
- ジャッジした後「まあ、私も似たようなことをしたことがあるけどね」と付け足す
- ジャッジした後「私も人のこと言えないけどね」などと付け足す etc.
ジャッジの対象者に直接言いたい場合 (言った方がよいと判断した場合)、さらに配慮が必要!
- 「あなたが悪い」ではなく「私は傷ついた」「私は悲しかった」などのアイメッセージで伝える
- まず何かに感謝し、その後によくないことを伝え、最後にまた感謝で締める
- まず相手のことを褒め、その後によくないことを伝え、最後にまた褒める
- 寄り添いながら伝える(「気持ちはわかるけど」や「大変だったとは思うけど」などを言いながら)
- 「さっき、こういうことをしていたけど、自分ではどう思う?」などと質問する etc.
表情や声のトーンなども穏やかな方がよさそう (ケースバイケースだけど)。
以下の記事も、ご参考に☆
★コーチングって何?生活にコーチングを取り入れるとラクでいい感じ! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
★子育てにコーチングを取り入れると、ラクで楽しく幸せが増える! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
★言いにくい依頼・意見・提案は「感謝のサンドウィッチ」で。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜
まとめ:でも皆すばらしく、みんな同じ。
人をジャッジすることについてと、人をジャッジした後に「こう考えない?」「こういう言い方をしてみない?」ということをお伝えしてきました。
すべては「どの視点から見るか」です。
大きな視点から見れば、誰もが唯一無二の素晴らしい存在で、そういう意味では「みんな同じ」です。
ということも付け加え、この記事を締めさせていただきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。