あらゆる人やモノなどに、感謝の言葉をつぶやく。
そんな実践を入浴中にしており、 3年ぐらい継続中。
亡くなっている祖父母にも、毎日「ありがとう」。
あれっ? だんだん、祖父母がまだ生きていると感じられてきた。
もう会うことのない友人知人よりも、祖父母の方が、まだ生きている感覚というか‥‥
という不思議な感じからのつぶやきや、私の人生の転機となった二つの出来事からの気づきも含め、ただ思ったことを書くだけの記事です。 ご了承いただき、読みたい方だけどうぞ (;’∀’)
亡くなっている祖父母は亡くなったのか
亡くなっている祖父母 = 今世での肉体が滅びただけ。
人々の心の中 (意識の上) では、生き続ける。
科学では解明されていないけど、祖父母の魂は生きているし、再び何度も生まれ変わる。
と言われるし、頭ではわかっているけど、
- いま、目の前に姿かたちとして現れない
- 握手とか肩を触るとかできない
- 声が聞こえない、においもしない
それが、寂しい (*´ω`)
しかし、自分の周波数を上げる実践をしつつ、毎日祖父母を思い出し、コツコツ感謝をしていると‥‥ なぜか本当に生きているように感じられてくる。 てか私の世界では、確実に生きていると、腑に落ちた。
生きている昔の友人知人は生きているのか
毎日毎日、あらゆる人やモノに感謝をしていると‥‥
「亡くなっている祖父母」も「二度と会えないであろう昔の友人知人」も、同じ感じになってくる。
だって、二度と会えないのだから
- 目の前に姿かたちとして現れない
- 握手とか肩を触るとかできない
- 声が聞こえない、においもしない
てか、毎日思い出している祖父母の方が、より私に近い気がしてきた。
もちろん「今までに出会った友人知人」にも、毎日感謝しています。
ただ一人一人お名前を挙げているとキリがないので「今までの友人知人、ありがとうございます」と一言でまとめてる。
ていうか、もう連絡もとっていない会わなくなった人たちは、
- 今どうしているか、本当に生きているのかさえもわからない。
- 私はSNSをしないし、ネットで調べる気もない。
- 年月と共に、私の (顕在) 意識下から外れた人もいるのだろう。
亡くなった祖父母との違いは、この三次元の世界で偶然、再会するかもしれないことだけ。
ふと思ったけど、まだ生きている人とは、会いたければ行動に移した方がいい。ランチに誘うとか、短時間でも顔を合わせるとか、思い切って同窓会を開くとか。(相手あることだから、断られたらそこまでだけど)
たまに思い出し、応援のエネルギーを送ることはできる
小学校で働いていたけど、最悪なかたちで辞めました。
それが自分を変えるきっかけとなり、その2年後、当ブログを開設しました。
最後の出勤日、「ああ、この子たちとは、もう二度と会えないのだな」と。
かわいくて仕方のない子たちで、無念とか寂しいとかの言葉で片付けられない気持ちでした。
その後、無知な私が「集合的無意識 」や「量子力学」などの存在を知り (まだ仮説の部分もありますが…) 、二度と会えない人でも、心の中で祈りや応援をすれば、きっと届くのだと思えるようになりました。
あの子たちには障害があり、心配しようと思えば尽きません。
でも心配したところで、自分も心地よくないし、あの子たちに何の得もない。
それより、あの子たちの力を信じ、あの子たちが今幸せでいると思い込む。 その方が、よほど私のためにもあの子たちのためにもなるのです。 もう、どうせ、会えないのだから。
関連記事も過去に書いています。
何もできない自分が情けない。人のために祈るススメと祈る効果。 | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
最悪なことをした人も許せた
その「退職に追いやられた小学校」では、セクハラまがいの行為をしてきた人もいました。
知能犯って感じで、スレスレでやってくる (*ノωノ)
(ちなみに私は美人でも何でもない、ただのオバちゃん。おそらくカルマとかの関係で自分が引き寄せていたのだと、今は思います‥)
最後の出勤日には、私の机のど真ん中に、一輪挿しが飾られていました。
すべての物事は、その人の脳のフィルター (色眼鏡) を通して見るものなのだから‥‥
その花を、誰が何の目的で置いたのか、真実は知り得ません。
でも、もし、その加害者が置いたのだとして。
嫌がらせとかではなく、私がいなくなるのが寂しかったのかもしれない。
だから、その人の中では、そういうことにしておきたかったのかもしれない。
最近思い出すこともなかったこの出来事を、ふと思い出し、「あっ‥許せる‥‥」と思ったのでした。
自分が幸せでいることが供養
ずいぶん前の、私の人生で「最も大きな転機」となった出来事の後。
とあるお寺さまの冊子で「自分が幸せでいることが最大の供養」と教えていただきました。
私が笑っていれば、亡くなった人も楽しく過ごせるのだと。
私が泣いていれば、亡くなった人が心配してしまうと。
当時は、その出来事を思い出すと悲しさや罪悪感ばかりで、なかなか立ち直れませんでした。 何をしていても、いつもそのことが頭から離れない、そんな時期も短くなかった。
でも、そのお寺さまの教えは、不思議な感じで、いつも私の心にありました。
その出来事を忘れて楽しんでいる時に、ふと罪悪感を抱いても、その教えが救いとなりました。
たぶん、亡くなった人は、生きている人に「自分を大切にしてほしい」と思っている。
どんな自分も「いていいんだよ」と受け入れ、少しずつでも、自分の本当の幸せを追求していく。
そんなふうに過ごすことを、亡くなった人は願っているのかもしれない、と今は思うのです。
白い極楽の世界に行ける
みんなが和やかな笑顔でいる、そんな世界があります。
- 姿勢をよくして、足を肩幅に開いて座り、
- 床に両足の裏 (できれば裸足) をつけ、
- 何も考えずに、目を閉じて、ゆっくりと深呼吸を繰り返し、
- 自分の体が、白い光に包まれているイメージをし、
- そのまま上昇し、巨大な白い光に吸収されるイメージをする
すると、そこには、
- すでに亡くなっている祖父母も、
- もう二度と会えない友人知人なども
- 嫌いだった人や嫌なことをしてきた人も
- いま自分の周りにいてくれる人たちも
- 顔は知らないけど、愛あるエネルギーを送ってくださる人たちも‥‥
モワモワ~っと、みんなが笑って、現れます (*’▽’)
(大木ゆきのさんの本を参考に、自分でアレンジして実践し、体験したものです)
すべての生きとし生けるもの、人間も動物も植物も鉱物も自然現象も出来事も‥‥愛と感謝の光に包まれて、そこにはある。 何の心配も苦しみもない世界が、そこには広がっているのです。
まとめ:心は自由です
「あらゆる人やモノなどに、感謝の言葉をつぶやく実践」を続けてきて気づいたことを、主にお伝えしてきました。
現段階での私の、ただのつぶやきの記事でした。
不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ございません。
心の中は自由で、誰とでも自由に会えます。
「できれば感謝や応援、幸せや楽しさのエネルギーを送りましょう」と、今は言いたいけど。
昔の自分を思い出すと、とてもそうは言えない。 そんな言葉、くそくらえだったから。
まずは、どんな感情を抱く自分も、ダメだと思う自分も、許すことから。
「それでもいいのだよ」と認めてあげることから。
大きな大きな宇宙の視点から見れば、どんな自分でも、どんな生き方でも、大丈夫。 この世に生まれて生きているだけですごくて、誰もが唯一無二の最高傑作。 きっと、それが、真実なのです。
私の感謝の実践の一部について、以下の記事にまとめています。
感謝や自分褒めは、毎日のルーティンワークの時に実践して習慣に! | 気にしない自分をつくろう!〜ラク楽イキ生きブログ〜 (kinisinai-jibun.com)
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。